ちょうど、豊臣秀吉が朝鮮を攻撃した頃、実は朝鮮は、(李朝建国当初から)明との間で屈辱的外交をしていた。屈辱とはいっても、中国文明を慕う考えからは、倒錯的に喜びと考える一面もあった。
毎年多くの女性と穀物を明に捧げて、朝鮮王や跡継ぎになるためには、明の承認を必要として、その承認のためにさえ、賄賂をさしださなければ、事は進まなかった。そして、王族は明に対して下手に出なければならなかった。
ところが、現代のナショナリズムと国家意識のプライドに無意識または意識的な迎合に陥り勝ちなドラマ制作者、監督、脚本家はともすれば、日本には批判的に、そして、明国との屈辱外交はソフトに、あたかも対等であるかのようにえがきがちである。しかし、この「ホ・ギュン」の制作スタッフ、監督、脚本家、役者は現実の大衆の俗論的ナショナリズムに迎合することなく、すばらしい勇気と強い意思をつらぬいている。
宣祖と重臣が、明国の使者におべっかをつかい、へいこらしている様子を実にリアルに描いている。
そして、重臣イ・サネとイ・イチョムは、明国の使者の内政干渉にかえるの顔に水で平気に内紛にかまけている。
韓国にも、間違いなく、日本のそれと同じように、やたらに、「反○」とかといって、ちょっと自国の反省すべき点に言及すればとたんに朱儒のように騒ぎたてるやからはいるだろう。しかし、この「ホ・ギュン」の作り手たちは、先祖のみじめであさましい様子を勇気を持ってえぐりだし、提示して、そしてなおかつ、ホ・ギュンという偉大な個が歴史にいたことを指し示している。
じつに尊いドラマだ。
※朝鮮は新羅のころまでは、独立精神があった。ところが、三韓統一の時、ドラマ「善徳女王」にも登場するチュンチュが唐の力を借りて三韓統一なしたことが、他国便りの精神態度の歴史態度になったのではないか、という説もある。
この作者は、一方的に支配階級を批判するのではなく、差別される側が、差別されてひねくれていく悲惨な様子も描いている。ホ・ギュンの幼馴染、イ・ジェヨンの最後のセリフがあわれだ。好きな女を抱かせてもらいたい、と無様なことを、科挙首席の儒学秀才が言うのである。(親友を裏切ってスパイになる褒美が好きな女を世話してもらうことなのだ)おまけにこのイ・ジェヨンは何をしゃべるにしても、母親にしゃべるマザコンで、妻の顔を見ないから。いよいよ、妻に悪態をつかれる。
もしかすると、本妻に陰湿に苛め抜かれる側室のソンオクは、こうした男社会の腐りきった欺瞞を総体として、暗黙のうちに批判しているのかもしれない。
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