同伊トンイ とうとう最終話 秘められたあるモチーフ トンイ最後の画像集 | 気になる映画とドラマノート

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厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

 最終話には、一般にドラマがめったにあつかわない秘められた(隠された)テーマが、しかし同時にはっきりと強く描かれている。

 オードリー・ヘップバーン主演ブレイク・エドワーズ監督の映画「ティファニーで朝食を」には、さりげなく、アメリカには、アメリカの農村とニューヨークという世界最先端の街の差異の問題が扱われている。自由奔放にニューヨークの社交界に単身入り込んで玉の輿を夢見るホリー・ゴライトリーは実は、生粋の都会娘ではなく、アメリカの典型的な農村からニューヨークに出てきて、気を張って生きる孤独な娘なのだというように描かれている。

 「ティファニーで朝食を」に描かれたモチーフは洗練さとしゃれた映画を作ろうとするなら、まったく必要のない奇妙だとさえいえるエピソードだが、このモチーフこそ、「ティファニーで朝食を」が時代性を刻印したなのものかであるような作品たらしめていた。

 トンイには、近代化および都市化の激化してきた国の人間存在の問題がある。なぜ、それが明示しがたいかというと、特定の歴史人物と時代を背景にした創作のなかにそのモチーフをいれこんでいるからだ。

 都市化と過疎の農村、地方小市は、職業の多様化と雇用の偏在を生むから、この現象が普及した国ではどこでも、母親が息子や娘たちを遠方の都市に送り出して、離れ離れに暮らすというケースを普遍化させている。これは、ソウルと地方農村、地方小市でも同じだ。パリ、ニューヨーク、東京、大阪、北京でも、変わらない。
 子供の将来のために、こどもと暮らすことを断念するトンイの心情は、現代人のなかに多くの同じ心情を持つ母親の心情に通底している。

そして、トンイの様子を見ていると、親子の別離を深刻な悲劇とみることはしないで、親は親の目標を見つけて生きることで「子離れ」する方向を見出しているようだ。トンイの場合は冤罪で苦しむ人を、証拠を見つけて救出するボランティアだ。

 もうひとつ最終話で取り上げられている作者のモチーフは、前近代社会が冤罪と拷問の横行した社会だったということだ。

 現代において、実は先進国の条件のひとつに「刑事訴訟法」、すなわち被告人有罪とするまでに、綿密な手続きを介して、できるだけ、無実の罪で国家権力が国民を拘束し、処罰するおそれをできるだけ防止する方策を採っている国と恣意的にいい加減に無実の罪、行き過ぎた処罰をするのが、すなわちダメな国だというべきだが、そういう信念の少ない国では、何度でも冤罪は起こる。

 冤罪をなくすためには、「刑事訴訟法」の充実と国民ひとりひとりの意識の変革が必要だが、現在でも、たとえば日本では、三浦和義事件や小向美奈子事件、松本サリン事件にみられるように、決め付けによる報道が多く観られる。また、近々では検事の証拠捏造と村木厚生省課長の冤罪問題あった。このおそらく、韓国でもまた、きわめて現在的課題である冤罪の、裁く側の意識と、歴史的事実としての拷問(起訴手続きの不備)の問題をとりあげている。

 北朝鮮、フィリピン、ミャンマーは冤罪による投獄が多いと聞く。


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