同伊トンイ 59話 感想 トンイの画像 | 気になる映画とドラマノート

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 「同伊トンイ」のストーリーは、脚本のキム・イヨンと監督のイ・ビョンフンの合作だ。だから、ときにはキム・イヨンの思想、考え方の特色が強く現れ、時にはイ・ビョンスンの思想が強く現れている。

 ここで、「思想」というとき、ちょうど、同じ二人のコンビで作られた「イ・サン」のホン・グギョンも「トンイ」のチャン・ヒビンも、まったく同じように、「土壇場で罪を犯すことを思いとどまったかに見えて、運命の力に(肩を押されて)、罪を決行することになっている。

 つまり、並の意志では、「性習いとなった欲心と不信に打ち勝つことは、難しい」という理念が、そこに流れている。

 ホン・グギョンとチャン・ヒビンの過ちは、人間性の悲劇として、同型ととらえられているのだ。それが彼らの「思想」のひとつだ。これは、日本のテレビドラマ時代劇作者には、なかなかみることができない、彼らの表現者としての特徴だ。

 トンイの記事に「天路への戦い」というまとめかたをしたことがあるが、「天路」すなわち、「天国への道に入ることは、らくだが針の穴を通るよりもむずかしい」という聖書の思想に共通する視点が、59話でいよいよ、強調されている。

 トンイとチャ・チョンスの会話に「安易な道を択ばない」そして、あくまでも、共存共栄の道を希求する、ということが語られている。

 ここには、リアル・ポリテッィクス(現実政治・妥協・転向)と理想主義(節操を守ることは困難であることの相克の問題がもう一度、トンイの危機と迷い、克服の過程を通して、考察されている。

 「イ・サン」では、主人公のイ・サンが聖君としての資質ゆえに、はじめから最後まで、迷いはなかったが、「トンイ」では主人公トンイが丸裸の状態から、多くの善意の人々に助けられたり、絶体絶命のピンチを自らの才覚と努力、人生に対する楽天的信念によって困難な天路をくぐりぬけてゆく様が描かれたために、このテーマが大きくクローズアップされた。

 あとふたつ、イサンから反復されている人間観がある。どんな高邁な人間も、たったひとりでがんばりぬくことは不可能かもしれない、共感する隣人の存在が救いとしてあってほしい、ということだ。

 もうひとつは、立派に生きている人間に感化されて、人は改心できるということだ。(運命に肩をおされて、改心できない、場合と改心できる場合)とを配置している。

 それが「イ・サン」では、ヘギョングンとサンの側室ファビンがソンヨンに共感を示す場面に救いとして顕れており、「トンイ」では、最初トンイを嫌っていた監察府の最高尚宮がのちに自らの危険をひきかえにしても、トンイを守る側に立つ場面と、最終章に登場する中殿がトンイをついに理解し共鳴することがそのまま自己克服でもあるような描き方になっており、それが同時にトンイの心の救いにもなっている。

 
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人間は変わりうることを証明してみせた監察府の尚宮

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他者を理解することが自己の迷妄性を克服することだった中殿


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中殿との共感を喜ぶトンイ

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 母として実の一人息子といつまでもいっしょに暮らしたいという欲心を捨て去る決意をするトンイ そこには、静かな悲哀をも越えたトンイの母としての最後の覚悟が・・・




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