11月14日(月) 11:30

やはりチャリンコは便利過ぎる。軽井沢内を移動するならこれで充分、レンタカー代金を考えたらタダみたいなもんだ。
小学5〜6年生を過ごした自宅跡地へ
そこから、オゴッソへ向かう経路を検索すると、卒業した小学校がほぼ通り道の上にあるのでついでに寄りたくなった。

しらやま商店は基本文房具店だったが、食料品、プラモデル、駄菓子なども取り扱う憩いの場だった。
矢ヶ崎公園からここまでの間にあった駄菓子屋の石橋商店との2強のみの独占市場
明和の頃一度だけ寄った石橋商店は、20年以上経過で流石にお爺ちゃんお婆ちゃんは代替わりで居なかったが、店舗自体は残ってて感動したものだったが、ついに無くなっていた…😭

8月いっぱい休みの東京の別荘だらけだったらからか、我々の始業日18日とか…まだ休んでいたのが羨ましかった(笑)。長野県は夏休みは短いが、寒中休みと中間休みという短期間の休みがあった。
これは長野県の子供たちの間では
「1か月以上まとめた方がいい」
「間に連休あった方がいいじゃん」
てな感じだったが、週休二日制導入で、今は寒中休みはないらしい。

しらやま商店を右に曲がり、その先左…
ここら辺で完全に記憶が甦った。

上田市4年、軽井沢町2年でどちらも木造旧校舎→新校舎を体験出来たのも、戦前からの建て替え時期だったのかも知れない。
補修はしてるだろうけど、もう30年以上…それが、記憶のまま全然変わってないのは、建築技術の進歩と鉄筋コンクリートの力なのだろう。

「外から眺めてオゴッソへ」最初はそう思っていたのだが、一周してみたら、あの思い出の野球グランドにどうしても立ってみたくなった。

上田市の北小学校はそのままで校庭など入りやすい作りなのだが、ここは勝手に入るのは厳しい。受付けで普通にお願いしてみることにした。
「突然すいません、86年に卒業した者なのですが、野球クラブだったんですよ。少しだけグランド見せていただけませんか?」
(^o^)「今なら丁度…1時まででしたら大丈夫ですよ」
どうやら、給食時間に完璧に合っていたので行けたようだ。

そのまんま、右のデカいガラスの建物が確か講堂、奥が食堂、右に体育館

小学校卒業年を調べていたら「1986年のマリリン」が予測変換で出てきて、昭和61年3月の曲だと知る。まさにここでの卒業式の月だったのか…

朝礼に使用される台、タイヤなど遊具関連、この辺もそのまま、そしてバックネット、更衣室、グランド!
ここ軽井沢でリトルリーグに入り、学校が終わればグランドへ。家で毎日素振り200とかやって、壁に向かってボールを投げていた。
その頃、テレビは巨人戦しかやっていなかったし、父親もファンだったので、自然と巨人ファンだったが、たまにやるパ・リーグのデーゲーム中継で山田久志投手と村田兆治メンバーの投げ合い
落合博満選手など、光の当たらない場所にいる実力者に惹かれる。中日から巨人への移籍は「やっぱり、あんたもか…」清原メンバーと同じく少しショックだった。今振り返れば、巨人の人気の虚構、金と権力の汚さ、メディア洗脳も少し気づいていたのかも知れない(笑)。近鉄バファローズのホーム藤井寺球場とか、パ・リーグの観客席はガラガラ、デーゲームの外野席で流しそうめんとかやってたのは衝撃だった。
⬆令和に野球、しかもパ・リーグ好きとは(笑)
プロの指導、そして競技を広めるってこういうことだよな〜と感じる。里崎は天才
今や巨人の独裁政治の時代は終わって、あの頃ドラフト候補に嫌がられていたダイエー…ソフトバンク(南海)、マリーンズ(オリオンズ)、オリックス(阪急)なんかも普通に学生に逃げられなくなったどころか、喜んでくれるまでになったのは良かったと思う。
江川卓、水野雄仁、桑田真澄とか…(笑)、巨人絶対主義ばっか見てたので、野茂英雄の近鉄あっさり入団、「どこだろうが関係ない」は特に印象に残っていた。
小学6年まで頑張ったのに、中学に野球部は無かった…、かなりショックだった。

昭和9〜38(1963)年まで軽井沢から群馬県横川駅で運用された車輌。アプト式という急勾配を登る為の歯車が付いていた。
日本一の過酷な斜面、このたった11kmの鉄道工事で500名が亡くなり、碓氷峠は心霊スポットと呼ばれていた。
三枚目に写っているのが離山
離山競歩会
あの頂上まで行って帰ってくる年1の恐ろしいイベントがあった😅
軽東祭も今回調べて思い出す。

小学生のトップレベルでも校庭外に飛ばすのは不可能な広さがある。
真っ先に記憶が戻ったのはスクイズ成功の場面…そこから一気に色々思い出し感動した。
ここ歩いていると…
(^o^)「作ってくれた人に感謝しましょう、いただきます!」
放送が聞こえた。
放送部って生徒会上層部と同じく、下々が知らないエリートの世界に見えていた。
後輩たちも同じ場所で走って学んでいる。

夏の短い長野県ではプールの期間も短かった。
小学校の頃なんて、基本皆楽しんでるのは今も変わらんだろと思ってたのだが…
本当に面倒くさい(笑)
本質的な教育の異常さを改善出来ないのは、どうでも良い議論まで山積みだからだろう。
水着までジェンダーレス対応とか言い出したのはどーなのか?

問題ないと思うのだが…
でも、令和の小中学生ってエロや性的な情報が氾濫するネットで育ってて、感覚から全然違うだろうし…難しいのかも知れない。
後、二十年もしたら、あだち充作品が成立しない学校になっているのだろう。
やはり、何かを失ってる気がする。
(しかし浅倉南って、今冷静に見るとメチャクチャな女だな😅)

受付窓口でお礼を言い、最後に体育館横を通る。
ながらスマホを助長するとして問題になっている像が移動されていた。これも価値観が180°変わった例の一つ、諸行無常、盛者必衰を感じる。
まさに、期待以上のタイムリープ体験は終わり、いよいよオゴッソへ