5月13日(日)、DDT博多大会で、ご指名をいただき、HARASHIMAの持つEXTREME級のベルトへ挑戦します❗
HARASHIMAとの付き合いも長い。
初めて会ったのは、学生時代に私がリング屋としてDDTの興行をお手伝いに行ったとき。
もう20年近いのではないたろうか?
HARASHIMAは当時から凄かった。
ただのリング屋だったけど、リングで戦っている誰よりもプロレスができた。
若手レスラーがHARASHIMAに教えを乞いに来るくらいに。
寝技が強く、当時武闘派揃いのDDTでも寝技の練習では負けることはなかった。
HARASHIMAや飯伏といった天才は合同練習へもあまり来ない。
教わらなくても出来ちゃうんです。
HARASHIMAは私にとって、雲の上の人でした。
HARASHIMAがコニカマンとしてDDTの登場人物になったときも、私はリング屋として働いていて、プロレスラーになれるなんて思ってはいなかった。
私は大学を卒業して就職をした。
非常に羽振りの良い会社で、初任給はなんと40万。
モノを売るにはキャバ嬢落とせないようじゃ駄目だと毎日キャバクラへ通い、一流のサービスを学べと、高級ソープへ連れていかれる。
すべて店長がごっちゃんしてくれた。
店長になると儲かるんだなぁと思っていたら、店長の横領が発覚。
もちろん何も知らない私は咎められることはなかったのですが、気まずくて、
『格闘家になります!』
と退社。
学生時代にキックボクシングをやっていましたが、視力が悪くて殴られてばかり。
貯まった貯金で当時まだ高かったレーシック手術をした。
医者に3ヶ月は殴られちゃ駄目だよと言われて、
『プロレスなら大丈夫なんじゃないだろうか?』
とDDTへ入団。
当時プロレスの練習をあまりしていませんでしたが、HERO!(HARASHIMA)が怪我をして、急遽コニカマン2号としてデビュー。
以後、抗争したり、供に戦ったり。
でもお互いトップへはなかなかいけなかった。
私は海外修行へ旅立ち、HARASHIMAはヒールターンして、自分探しの旅へ出た。
海外から戻り先にチャンスをつかんだのは私だった。
でもチャンスをモノにすることはできなかった。
そしてHARASHIMAが先にKO-D無差別級のベルトを巻いた。
その後、私もKO-D無差別級のベルトを巻いた。
私からの呼び掛けで、HARASHIMAとウラノとウラシマクドウというユニットを組んだこともあった。
てもウラシマクドウでHARASHIMA以上に輝くことは出来なかった。
私はウラシマクドウを離れ、酒呑童子へ。
その後も何度も戦った。
HARASHIMAとの戦いはいつだってEXTREMEだ。
昨年はDDT20周年記念試合で戦った。
DDT10周年でもやった気がする。
30周年は私にくるのかな?
HARASHIMAはきっとずっと戦い続けてくれる。
例えるならば郷ひろみ(笑)
今も変わらず尊敬しているよ。
5月13日、全力でベルトを取りいきます❗
応援宜しくお願い致します。
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