ちょっと悲しい話ですが、どうしても伝えたいことがあります。タイトルの通り、妻が会話してくれません。何日目かは正確には分かりませんが、とにかく長い間、会話が途絶えてしまっています。
少し背景を説明します。
2020年2月、妻はタスマニア🇦🇺で留学を始めました。僕も彼女の準備を手伝い、一緒にタスマニアに行きました。その後、僕は一人で香港🇭🇰に戻りました。皆さんもご存知の通り、その頃コロナが世界中に広がりました。それが二人が最後に会った時でした。
その後、週に一度Zoomでビデオ通話をしていました。しかし、通話の回数は次第に減っていきました。
当時のビデオ通話の内容は主に彼女の大学生活や、僕が住んでいる香港のコロナに対する緊急事態宣言についての話でした。まるで彼女は別世界にいるようでした。
僕たちの世界は毎日マスクをつけて、苦しい日々を過ごしていましたが、彼女はタスマニアでコロナの制限はほぼない生活をしていたようです。
計画していたのとは違う人生
元々の計画は、僕が2021年にタスマニアへ移住するつもりでしたが、世界中でロックダウンが続く中、先のことが見えなくて、いつオーストラリアに入国できるか誰にも分からない状態でした。そこで、2020年8月、僕は日本に留学することを決めました。
2020年10月、僕たちが10年間住んでいたマンションを売り、そして、僕は日本語を一から勉強し始めました。
その後一年間、ビデオ通話は月に2回ほどになりました。僕たちの世界ではまだコロナの変異株デルタやオミクロンが広がり、毎日が苦しい生活で、暗い未来しか見えませんでしたが、彼女のインスタを見ると、パーティーをしたり、友達と遊んだりと楽しそうな生活をしていました。タスマニアにはコロナの影響は全くなさそうでした。
そして、2022年、僕は福岡🇯🇵で日本語学校に通い始めました。その時点で、僕たちは2年以上も離れていました。
感動なしの再会
再会したのは2022年11月、日本で海外観光客の入国が再開された時期でした。再会した場所は福岡空港のセブンでした。彼女と2年半ぶりに目が合った瞬間、彼女が変わってしまったことがすぐに分かりました。映画のような抱擁や歓喜の涙は全くありませんでした。
彼女は3週間福岡に滞在しました。
彼女が変わってしまったことを深く確信したのは、彼女の誕生日の夜、予約したカニ本家🦀という店に行く途中でした。彼女の手を握ろうとした時、彼女の手に力が入っておらず、僕が一方的に手を握る形になりました。「何かが違う」と思いながらも、問いただす勇気はありませんでした。
彼女の劇的な変化
2022年12月、彼女と東京に旅行しました。最初は異常がなかったのですが、次第に彼女の口数が減っていきました。僕が「どうしたの?あまり話さないね」と尋ねると、彼女はコーヒーのカフェインが足りないから疲れて話したくないと答えました。そこで、二人でいるのに、僕が独り言を言っているような状態になりました。
口数が少ないだけでなく、一番辛かったのは、彼女が急に怒鳴ることでした。僕たち二人と彼女の友達を含め5人で軽井沢に行った時、僕が助手席でナビをしていたのですが、ちょっと道を間違えた時に、彼女は急に怒鳴り始め、僕をひどく罵って、後ろの友達も驚いていました。僕も、彼女がそのような姿を見たことがありませんでした。
東京の旅が終わる前日、神社でおみくじを引いている時、彼女が振る箱が逆さまになってしまい、僕が手伝おうとすると、彼女はまた怒鳴り、「放して、子供じゃないから!」と言いました。その後、「私はだいぶ変わった。もう子供じゃない。子供扱いしないで!」と言いました。
実は、僕は妻を子供扱いしようとするつもりは全くありませんでした。なぜそんな誤解があるのか、苦しくて寂しい気持ちになりました。二人でいるのに、空前の寂しさが襲ってきました。
その後、妻が口をきいてくれない日々が始まりました。
2023年1月、彼女はタスマニア🇦🇺へ戻りました。僕も同年4月にそちらへ移住するつもりです。でも、今の二人の関係ではどうやって同棲すればいいのか?今回の文字数は多すぎなので、次の記事に続きます!
SOS
これは世界へのSOS記事です。
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