量子場師 くればやし です
こんなこともあり、僕の親は、僕にたくさんの教育費を注いでくれた。
小学生のときは、優越感もあり、別に嫌ではなかったが、中学高校と進むにつれて、プレッシャーになったり、おしつけに感じたり。。。
大学は、留年を続け、教育費を出してもらうことが苦痛になっていく。。
家での居場所もなく(そう感じる)、人生の中で最もストレスフルな学生時代。
でも、このリブログさせていただいた記事のおかげで、これは愛の形なんだと、やっと気づけた。
当時は気づけなかったから、感謝なんてしていない。
→だから、【愛】≒【お金】を受け取れなかったのかも。
って考えると、自分にはまだまだ、気づけてない【愛】が与えられようとしていて、拒否してるのかも。。。と思うようになりました。
【構図】
『与えられてる愛』 に
『気づけない』 と
『感謝できない』 から
『受け取れなくなる』
【今日の気づき】 (勘違いかもよ)
一律給の会社って
以前は、あまり好きではない時期もあった。
でも、仕事ができても、できなくても、ほぼ同じような給料を払うって、、、
【愛】なのではないか?
しかも、できなくてもやめさせずに、会社側の仕事の与え方を変えるとか、、、
【愛】なのではないか?
最近、こういう気づきを与えてくれる人が、どんどん目の前に現れてくれる。。。
これは、自分にあてはめて考えなくては。。。
【前職】ゴルフのインストラクターのとき
固定給で、その会社のシステムは、【愛】だった。
広告費を使い、お客さんに年間契約をしていただいて、僕らに安定した給料を払ってくれた。
そこで僕はつい、『もらっている分貢献しているだろうか?』と考えてしまっていた。
【前々職】これもゴルフインストラクターのとき
『貢献している分もらってない』などと考えてしまっていた。
どちらも真逆だが、身を引く理由の一つにしたかもしれない。。。
【愛】に気づけなかった。
まとまらないので、つづきはまた後日