
地獄第三層に堕ちて行った弁護士が辿った《『死出の旅路』の《実話の記録》は万人の死出の旅路に関して多くの示唆を我々生きている者へ与えて下さった事には、計り知れないものが有るのではないでしょうか。
然し、個人の内面の旅路に焦点を合わせていたので、客観的に観ている側に執っては幾つかの謎が未だ残された儘でした。
謎の一つは、三途の川の直前で、頻りに前進を強制する声が聞こえて来た事です。
「行け!」…と急かせる声は、一体誰が発したのでしょうか?
抗う事も出来ず、誰も彼もが蛇だけが流れる川に嫌も応も無く入って仕舞うのです。
人は一度や二度だけで無く、少なくとも十回以上は、生まれ変わり死ぬ度に、此の悍(おぞ)ましい恐怖に彩られた蛇の川を渡っているのです。
若し過去世を皆んなが覚えていたら、三途の川の記憶は生まれた時からのトラウマと成って纏い付くでしょうね。人生を歩む事が三途の川に近付く事と怯え、とてもじゃ無いが、まともな人生を送れません…過去世を忘れて生まれる意義はこんな所にも有るのかも知れませんね。
少なくとも、何も覚えて居ないお蔭で、淡々と瓦礫の原から出ようと歩き出せるのであって、三途の川の恐怖を覚えていたら皆んな瓦礫の原から一歩も進めない事に成りかねませんよ。
魂のたゆまぬ成長など鼻から望めない仕儀と成りかねません。
此の瓦礫だらけの場所を「痛い…痛い…」と呻き乍ら多くの人達がソロリソロリと痛さに顔を歪め、俯いて自分の恐怖と闘い歩む姿を偶々覗いて仕舞った某有名な霊能者は、此の冥府の姿を地獄と勘違いして自分の出版物に地獄の情景として書いています…其れ程恐ろしい風景に映った様です。
地上的感覚で凡そ二昼夜の行程と成る様ですから、旅支度位は本気で準備して置くべきです。
不安に駆られれば其れ丈視界が曇り、其れは丁度霧かガスが掛かった様に幽眼には映る様です。
中化神龍師が仰有っていました。
お前逹には景色が遠く迄良く見えるけど、冥府の知識が無い儘放り出された者達には不安と見知らぬ光景に怖れを抱き、其れに因って眼塞(ふさ)がり、二メートル先も定かで無い位ガスが掛かって見えるだけだから、増々恐怖が募って、只、只、歩くだけに成って仕舞うのも無理の無い事だ。
肉体が有ると無いとでは、心の動きが視界にも視野にも直接影響を与えると言う事だな…痛みの度合いも比較に成らんと言う事だ…と。
本当は山有り谷間の小道が有ると言う、正に山間(やまあい)の道も通るのですが…心が動揺した儘なのでずっと側の人までガスの中の曖昧な影の様に見えて仕舞うと言う、隣を歩いても話掛ける事も増々無く成ると言う事なのでしょうか…。
冥府の実際を知った皆さんはもう少しゆとりを持って、風景を楽しんで行けるかも知れませんね。
さて、瓦礫の様子と言うのは、列車の線路の敷石を想像すれば良いかも知れません。丁度あの位の大きさの石で、棘々しいのが辛いですが…火山弾の様な石塊が其れに混ざっている様なものが延々と広がっている場所に成る様です、其処で唐突に気が付いたら"あなた"は間違い無く死んでいると思って良いのです。水も草木一つとして無い瓦礫の原…嘗て水が流れた様な川床の様な箇所はあちこちに溝を作っていても水は何百年も流れない乾いた石だらけの遠望…。
其の場で早々と『死の自覚』を持てる事が何れ程"あなた自身"を助けてくれるか…量り知れません。
此の世で《"形有るもの"には総て幽体が有りますから、其れ等が壊れたり焼け落ちて"この世"での寿命が尽きた途端、皆幽界に生まれて行く》訳ですから、皆んな死後の世界は茫洋とした曖昧な世界と思って…或いは何も感じない形すら存在しない無の世界だとか、宇宙空間に同化する位に思ってますから、見慣れた山や石だらけの冥府に先ず驚くと言う訳です。
次第に落ち着いて本格的な幽界生活が始まれば…殊に地上境辺りに行く事に成れば…まともな生き方をしていれば、殆どの人は此の地上境に送り込まれる筈ですから…当然周囲の景観は見慣れた世界に成っている訳だから、車が走り交通機関は完備されているし、死の直前の景色とは微妙に違っていても、そんな事は然程気が付かないですよ。
兎に角、生きている事に満足するだけでしょうから…。
結果『死の自覚』なんて持てない人が溢れる事に成る訳です。
其れが幽界の実相と言う訳です。
死んで居乍ら、生きて居ると思い込む事を『迷い』と言います。
《魂として観れば、立ち止まった侭と言う事》です。
下手すれば何百年も此処に逗まる事に成り兼ねないと言う事です。
昔なら五十日前後で抜けられた幽界にダラダラと逗留する事に成るのです。
まぁ、其の事実を知っている皆様は、目覚めた時点でおそらく死の自覚を持たれる事に成る筈ですから、心配はしてませんけど…。
さて、僕は中化神龍師に霊界の実相を漫画として視覚可能な形で後世の日本人の為に残して置く様にと命ぜられてから、此の冥府の情景を最初に絵に起こす事に取り掛かったのですが、師匠は時間が有る限り傍に付いて質問せい…と仙台に来られる度に色々と教えて下さった訳です、或る時、三途の川の話を伺った折、「とても蛇の中に踏み入るなんて度胸を持てそうも無いですが…皆んな良く入って行けますね」と尋ねた事が有りました。
何か確認する様に虚空を見詰め乍ら中化神龍師は言いました…
「其れはそうです。岸に立ち止まって茫然と見詰めておるのが、たんと居るねぇ。
ちょっとやそっとで入れやしません。
だって穴と言う穴から身体中に蛇が入り込むんやからねぇ…そりゃ苦しいなんてもんじゃ無いからね。でも入らにゃしゃあ無いでしょう…何処にも行けやし無いんやから、最後は皆入りよるなぁ。
せっつかれるしな。おい。誰がせっつくか解るか?
耳元で…入れ、行けと言うのは主護霊だぞ。」
「主護霊ですか!」
師匠「そう言う事です。だから最後は皆自分の判断で三途の川に入ると言う事です。主護霊は自分なんやからね。
ほいで、しゃあ無いから足を蛇の中に…踝辺り迄浸した途端、シャーッと着てるもんの色が変わる訳です。大体は茶色っぽかったり、どす黒い様な、灰色の…まぁ汚い色やねぇ」
「其れで行き先が解ると言う…」
師匠「そう言う事です」
「じゃあ、見る人が見れば、幽体分離の時に、幽体の出て行く場所からも行き先が高い世界か、低い世界かも分かるし、三途の川に入った段階でもよりはっきりと解るから、閻魔の庁に行かなくても既に裁かれている事に成るんですね」
師匠「何時も言う様に、閻魔さんは人間を決して裁いたりはしないです。只一言…汝の相応しき所へ行け!…と言うだけですから。
三途の川を這々の体で上がって来た所で獄卒が待って居て、ヒョイと胸元に囚人番号を書いた札を付けてくれる…其れで行き先は確定する訳です」
つまり閻魔様と言うのは人間を裁くのでは無く、死んで行く先を一人一人見極めて下さる方と言う事が言えますね。
日本人の一人一人の最後迄見届け様とされる神が実は閻魔様の実体で在るのかも知れませんね。
何故なのでしょうか…。
閻魔様とは天之目一箇之大神様と言うのが本当の御名前です。
《天之目一箇之大神様とは天之日子穂々出見之大神様の『教令輪身』の時の御名前》ですから。
天之日子穂々出見之大神様と言う御方は初代天皇様ですから。
天皇様と言う御方は日本人総ての父親母親に当たられる御方なのです。つまり天皇と言う方々は常に日本と日本人を見守っていて、其れは死んでも変わらないと言う事なのですね。
私達が知らなかっただけで、天皇と言う存在は、古事記以前の遥か昔から、其の様な思想と御立場を継承して来て、現在(いま)に至って居る訳なのですね。
此の《思想の継承こそが『万世一系の中身』》なのですね。
血統の継承が万世一系では無かった訳です。
《資質の継承にこそ天皇の天皇たる所以が有った》のです。
況してや天皇に成ると言う事は男か女では無いと言う事です。
如何に《天皇として日本人を見守り灯りと成って導いて行けるかの資質こそが天皇の器》であるとも言えるのでしょうね。