
問題は、此の五次元神界に出入した者が居ない限り、高き神々の世界は描き尽くせ無い事に有る。
此れが人類史に執っては最大の不幸な事であったのです。
然し、神々は慈悲深い。
此の救い様の無い人類終末の様相の此の時期に、天界から偉大なる高級神霊を背後に活躍される神人を神霊界一千年の仕組みを賭けて、"この世"に送られた。
外でも無い。
其の人こそ私共の《正師 中化神龍師》である。
師は、幽顕界の出入は自在にして、悟れる者の世界、つまり高級神霊の五次元世界から降られた。
師の御主護霊·背後霊の一群は高級神霊団を結成し、神界の経綸を司り地上へ投影されている。
極めて高度な世界からの三界(現界·霊界·神界)を貫く現象界の凡てが師の直毘に映し出される。
師は道元禅を極められ、祈祷の極致に親鸞を体現され、空海の密教の彼方に"純性神道"(古神道の意味)を把握されて居る。
《師の自内証に映る日本神道の世界は、民族の魂の帰趨する最後の"拠り所"》である。
因って…師の自内証が其の儘人間の到達し得る精神世界の最後のものであり、『十住心論』を超えられる理由でもある。
私自身、俗っぽい意味で、霊能が有る様には思われない。
唯、師の直毘に映る自内証の投影が、長年に渡り師匠の側に付いた傍ら、知らず知らずの内に私の想念の世界を形造り、思想と言い哲学と言い、況して師の自内証に映る霊界·神界の経綸の或る部分が、幾分なりと読み取れる様に成って、然も常に師匠の検分の範囲から独り歩きをする事は無い。
霊能者の世界は一種の精密機械であり、デリケートな上に脆く壊れ易い。
所詮、〘力の無い人間が霊界人から操られ、人形浄瑠璃の人形にしか過ぎない、主体性無きブラウン管が自らの拙い《人格波長、つまり"迷える自我"を発信する時に感応する世界は魔界か邪霊の虜と化す〙。
《世に言う霊能者の殆どが、此の邪霊に取り憑かれた受信機である事を恐ろしく知るが故》である。
此の物語は、高級神霊団の加護の元に前人未踏の霊界上層部や神仙界、更には神界の消息に至る諸層を、我が師に代わり記録する事が許された、言わば随聞記である。
《此処に描く地獄は、佛教的に説かれた過去の其れでは無い。
『人間の宿世の業』の堕ち行く最悪の醜悪な世界では無い。
寧ろ、今生に良心を持って、比較的真面目に平凡に、最も身近に過ごした人間らしい人間の行き着く世界、其の様な地獄を対象として探訪する事が目的である》。
"この世"で何とは無く生き続けた人生が死んで後、何処へ去り行くものか。
寧ろ、そう言う人達程地獄に対して無知である。
《無知の愚かさが、ひとしお哀れを誘う》平均的人間の堕ち行く地獄を探訪する所以である。
今も尚、堕ちて行った彼等や彼女等の地獄での生き様を素直に書き残して置きたい。
多くの人達が、地獄で色々な経験を積んでいる。
魂の世界は、地獄を超えるだけで四千年。
其の世界で飽く事無く浮遊し続けている。
肉体を持つ人間界では、朝も有れば、昼も来る。一日が時間の流れの中で、規則正しく変化し巡り来る。春夏秋冬と移り変わる四季の装いに、情緒を込めて人は無常を感じ人生を考える。
霊界はそうは行かない。
朝も無ければ夜も無い。
只、《有るのは自らの観念と想念のみが、迷い続けた人間の宿業のみが凝集して途方も無い孤独の世界に引き込まれて行く》。
類が類を呼び、類魂が一つの階層を造る。
観念のみが浮遊する。
いつ気が付くとも判らぬ、ぼんやりと薄暗い世界に生前の累積した醜悪の塊に押し潰されて、其の殆どの人々が浮遊し続けている。
此度、下命承けた此の『地獄篇』は、其れでも比較的高い地獄界を主体に、心理学的に分析されている七つの層に区分して…寧ろ、代表的な箇所を猫写する事にした。
猫写の手順は、師の背後霊白日先生の誘導に従い、丁度上空のヘリコプターから各階層を一同にカメラに収め、後に成って、其の部分部分をズームレンズで拡大して記録をした物と考えれば良い。
其の七つの層を白日先生、師匠と共に次の様な分類に到達したのであった。
地獄第一層 良心の呵責無き悪の棲む處
地獄第二層 悪を助力する意志薄弱な者の世界
地獄第三層 偽善者が堕ち行く世界
地獄第四層 虚栄の市に蠢く虚像達
地獄第五層 唯物論者の成れの果て
地獄第六層 形式主義者の成れの果て
地獄第七層 地獄の学校
…と、稲津先生の『地獄』の冒頭には認められている。