或る時、斎場に降られた御神霊が仰せに成られた…

一軒の家が五代十代と伝わる事は至難な事じゃ。五代十代の内にはどんな極道者か分らぬしな。

天皇家は百二十六代伝わって来た。

其の方等なら分ってくれる様に、如何に目に見えぬ世界の御加護が加わって来たか。

勿論、天皇は日嗣の皇子と申し上げ、政治的に統治権の総覧者であった。


本来、神武と言う言葉は易経の中に神武と驍武と言う言葉が有り、二つの対立用語じゃ。

"矛で止(とど)むる"と"矛を止むる"じゃ。

苦労人の社長連なれば理解が付くじゃろう。

優しくもせねば成らぬ、説得もせねば成らぬ。

でも、《矛で止むる事も真理、矛を止むる事も又真理》、社長達も時には社員を怒鳴りたく成る時も有ろう。でも後で怒鳴らずに何とか会社が巧く行ってくれれば…と、時には己れの不徳の致す所と恥じる時も多かろう。

でも皆を執念の鬼に燃え立たせて置かなければ、会社は目的を達せぬ。


《経営者は結果に責任を持つべきもの》。

当然の所、"矛を止むる"と言う原則に拘っていたら、とても全う出来ぬ事も有る。

矛で止むる事も事実。

でも"矛を止むる道"を『神武』と言い、"矛で止むる道"を不本意乍ら『驍武(凶武)』と言う。

どちらも必要なのじゃ。


世の中は理想を追うだけでは、現実は"けじめ"が付かん。

企業体に於いては、此の"けじめ"を付ける事の大事さに、常に苦慮致すじゃろう。

人の世は、此の"けじめ"を如何に付けるかも要る。

《神武と凶武》…此れが本来の易経の言葉じゃ。

理想は言う迄も無く"神武"じゃ。

而も其の《理想の天皇》で御座(おわ)したから、『神武天皇』とカムヤマトイワレヒコノミコトに諡(おくりな)を国民が申し上げたのじゃ。

でも、其の神武天皇でも長髄彦を始め順(まつろ)わぬ者達には、断固、矛で止(とど)めたのじゃ。

神武じゃから戦わなかった訳では無い。

最も戦った御仁。


時には戦いにも敗れ召され、兄君に当たらせられるイツセノミコトは矢に当たって和歌山で御隠れに成った。

"みつみづし くめのこらが かきもとに植えしはじかみ 口ひびく 我は忘れじ うちてしやまん うちてしやまん"

生姜を口に噛んだ様に、今は口の中は響いている、断固として此の打ちてしやまんに徹せずんば…と、半ばは"凶武の人"であったのじゃ。

中化神龍師が何時も言う通り、《力無き正義は無力》じゃから、唯…《正義無き力が暴力》と言うだけで、《正義と力は並行していなければ成らん》。


人格の豊かな事は麗しい。

皆が慕い寄って来る社長で無ければ成らん事も事実じゃが、力の有る甲斐性の有る社長で無けりゃ、社員は不幸に成る。

良い人であっても力の無い、甲斐性の無い、人前に出せぬ社長では、社員は不幸を観る。

正義と力の並行が如何に大事か…神武と皆が諡したが、随分と武力行使を為された事も事実じゃった。


社長は心の中に神武で有るべきと、自らに言い聞かせ、反省に反省を重ね乍ら、時には内に涙を秘め乍ら凶武も振るわねば成らん。

此れが《人の世の"けじめ"》じゃ。


では、其の"正義の出所"は何処に在った。

此れは神に有った。

神に祈り、神の是とすべき所を正義とし、神の心を地上に実現する所に、統治権の総覧者たる日嗣ぎの皇子たる天皇の使命が有る。

そうすると、天皇は唯単に政治的な統治権の総覧者で有るばかりで無く、日本的正義の上に立ったスメラガミコトで無ければ成らん。

"スベル(統べる)"と言う事は『統率者』と言う事じゃ。

でも、其れは《日嗣ぎの皇子としての統率者》じゃ。

日嗣ぎ皇子としての統率者とは、天照大神様から来たれる日本的社会正義の上に立った…神の御心の上に立った"スベルミコト"が日嗣ぎの皇子としての"ミコト"。

社会正義…神の御心に沿うた"スメラミコト(天皇)"であってこそ、天皇は統治権の総覧者で有る前に、神の心を問う…此の永遠の世界に繫がった接点が天皇には必要じゃった。

つまり斎場が必要じゃった。


何れにしても、伊邪那岐伊邪那美大神にしても、御慣れに成らなかった所為(せい)なのか、失敗召され、「如何しよう?」と言う前に、神の心に添い奉るべく、神の心を御問いに成った。

此れを古事記では"風止まにに占へて"と書いて有る。

"風止まにに占へて"とは、此の『斎場』を行うたのじゃ。

目に見えぬ更に上の神に御問いに成ったのじゃ。

本来、"考える"と言う言葉は"神帰る"と言う事じゃから、神の御心に御問いに成ったのが、"考える"であり《風止麻邇に占へて》じゃ。

…と、説かれた。