令和6年 甲辰の正月 | 九段の真希のパッチワークな日々

令和6年 甲辰の正月

新年明けましておめでとうございます


…という間もなく、


元日の夕方に能登半島を震源とする大きな地震が起こりました。





〈令和6年1.1 能登半島地震〉


元旦は いつも朝から恒例の「中華ちまき」作りをして、

もち米2合分で37個を ひとりで作りました。






それが昼過ぎには完成して 試食を兼ねて 昼食に家族皆で食べました (後で親戚や知人に配る)。


年末から泊まりに来ていた息子に感想を聞いたところ「いつもと同じ味」とのこと。




昼下がり、親戚が来ての新年会が自宅の座敷で行われ、台所で揚げ物をして それが終わって火を止めた直後に 地震がありました。


長野市~北信付近は震度4~5弱とのこと。


時間は3分くらい?(長い)。


家全体がゆさゆさゆさ…と揺れ (後で点検したら土壁にヒビが入っていた)、


座敷にはテレビが無いので 皆が茶の間に集まってきて テレビを見ました。


震源は能登半島先端と言われ、すぐに「津波警報」が流れた。


(後の報道では地震後1~5分で第1波が到達したとか)


「海無し県」である長野県の住人には 津波警報から受ける切迫感は無いものの


「これは大変なことになりそうだ」

「北陸新幹線、止まってしまうんじゃないのか?」などと口々に言い合う。


その後、映像に捉えられた津波や火災などの様子を見ながら、まんじりともしないで元日の夜を過ごしました。




翌日(2日)、今住む静岡県に戻る息子を送りがてら「善光寺」に初詣。


被害の程度はまだ明らかになっていませんでしたが、被災地の皆さまの無事を祈りました。



北陸新幹線は 2日の夕方までは長野折り返しになっていて、長野駅の改札前は 金沢方面行きの運転再開を待つ旅行者で溢れていました。



その夜には 羽田空港での 飛行機衝突事故が起こって…



JAL✈️に搭乗していた乗客乗員は全員脱出したものの

海上保安庁の方が5名 亡くなられました。


年が明けて、今年は閏年で366日あるうちの


最初の2日間で「今年の重大ニュース」が2つも起きた。


恐ろしくて 茫然としているうちに「正月(松の内)」も終わりそうです。



(北國新聞)

6日現在
地震で亡くなられた方は120名を越え、

いまだ200名以上が安否不明。

負傷者多数。


(テレビ朝日)


道路が方々で寸断されて避難者への支援物資もなかなか届かないとの報道です。

長野県の 今住む場所から日が沈む方向には 北信五岳や北アルプスの山々が見える。

あの山の彼方で苦しんでいる人が大勢いる…と思うといたたまれない気持ちになる。


自分にできることは 祈ることと 赤十字に寄付金を送ることくらいだけど、

ひとりでも多くの方が救われますように…と願っています。