些細な運命の分かれ道
今日 7/19は カザフスタン🇰🇿のフィギュアスケーターであり英雄と呼ばれた デニス・テン選手のご命日でした。
2018年。25歳でした。
Twitterには 朝からさまざまなスポーツメディアの方、テン選手ファンの方々の 追悼の言葉や投稿画像が並び…、
それはテン選手がどれだけ慕われていたかを示すものでした。
食事の後、自分の停めた自動車に戻った時に、バックミラーを外して持ち去ろうとしていた暴漢たちと揉み合いになり、大切な脚を刺されて命を落とされました。
あと5分か10分…、
食事を終える時間が早いか 遅いかしたら、
テン選手は暴漢と鉢合わせすることは無かったかも知れない…。
そう思うと、運命の残酷さをのろいたくなります。
今日は一日中忙しかった。
銀行、病院、役所など 事務手続きの為に行かなくてはならない場所が多かったのです。
猛暑なので 汗だくになる。
その汗拭き用に「手拭いコレクション」から1枚を持っていくのに、Aの花柄にするか Bの幾何学柄にするか?、
朝 一瞬悩んで、一度手に取った A をやめて B を持っていったのです。
そして、外出先で その Bの手拭いを紛失してしまいました。
手に持っていたから、どこかで書類を書く時に傍らに置いて、忘れたのか?🥺
そう思って 来た道を逆に辿り、役所の「遺失物係」に訊ねてみたりもしましたが、無く…、
とうとう見つけることはできませんでした。
さよなら~ B (>ω<。)
もし、“朝の一瞬” で別の柄を選んでいたら、その子が失われていたんだなぁ…と思うと、
残された手拭いたちが愛おしくなります。
失くした Bも もし誰か拾う人がいて、洗濯して利用してくれれば嬉しいけれど…
コロナのご時世、どうかなあ?💦。
これは手拭いの話ですが、
ひとの運命も、些細なタイミングや判断の仕方で 大きく変わってしまう。
一度 失われたものは取り戻すことはできない。
過去は 映像や記憶のなかに残るけれど、
ずっと続くはずだった未来が失われることは悲しい。
だから今あるものを大切にしたいし、生きているすべての人を応援したい。
「東京オリンピック」を目前に、
テン選手のご命日に
そんなことを思いました。