「ひかりの素足」 の天国 | 九段の真希のパッチワークな日々

「ひかりの素足」 の天国

「銀河鉄道の夜」の作者である 宮沢賢治 (1896年~1933年) は、37年という短い生涯ながら 優れた童話や詩を数多く残しました。

「雨ニモマケズ」や「風の又三郎」「グスコーブトリの伝記」「よだかの星」…。

けれど その作品の多くは 亡くなられた後に発表されており、
賢治さんご本人が 何度も推敲して書き直した為に同じタイトルでも様々な雰囲気の作品がいくつもあったり、  
自分を納得させる為に書いたもので 他人に見せる気はなかったのでは…?と 思われるものもあるのです。



「銀河鉄道の夜」にしても、 よく知られている結末のものの他に 「初期形-ブルカニロ博士篇」という、 カムパネルラを失った後に ジョバンニが謎の人物と延々と哲学的な問答をする…という方向へ進むものがあります。
実は 賢治さんが一番 紙の上に記したかったのは、 この哲学的な部分だったのかもしれない…と 私などは思いました。

ブログやメールに記すことで、自分の思いや モヤモヤを整理出来る ってこと、 現代でもありますよね?

賢治さんも それをしたんだと思います。

ただ 童話として他人に読ませるには そぐわない…と思って「最終形」では その部分をバッサリ カットしてしまったんじゃないでしょうか?
( いわゆる「最終形」が 本当に最終形なのかもわかりません。賢治さんは まだ推敲するつもりだったのかもしれませんし )。

まぁ この辺りのことは、今までもたくさんの「賢治研究家」の方々が議論されて来られたところでしょう。

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「銀河鉄道の夜」の原形だろう と言われているものに「ひかりの素足」という作品があります( 全集などに収められています)。

あまり知られてはいませんが、 震災以降 少し注目されているようです。
死線を彷徨った人、 兄弟を失った人…そんな体験をした方々の 琴線に触れるものがあるのでしょう。

舞台は東北地方の何処か…。

ストーリーを ものすごく ザックリ言うと「子どもの兄弟が 冬山で遭難して 臨死体験する」のです。
そこで「巨きな人」に逢うのです。




雪山で吹雪に途を見失い、 次第に進退極まっていく流れとか、
冥界を彷徨い、 地獄の鬼に責められる場面などは…本当に恐ろしいです。
((((;゜Д゜)))。





妹のトシさんを喪って…賢治さんが 何を思い、 どう自分の気持ちを鎮めたのか?
宗教的に 死んだのちのことをどう想像していたのか?…それが強くあらわれています。
まるで 亡くなった妹のたましいに寄り添って、 本当に あの世の入り口まで行ったかのような描写ですからね。


ただ、 後半には 賢治さんの考えるところの「天国 (極楽)」の有り様が描かれているのが 興味深いです。

科学者でもあった賢治さんにとっては、「博物館」や「図書館」が充実しているところが「天国」だったのですねぇ。


でも、 この「天国の本」って… ずばり「スマートフォン」ではないでしょうか !?






「一冊の本の中に 小さな本がたくさんはいっている」
「小さな小さな形の本に あらゆる本がみな入っている」って…。

私たちは いまや当たり前のように、 分からないことはググり、 気になる有名人のことはブログ巡りをしたりして最新情報を知ろうとします。
⇒ そして それは 難なく達成される。

スピードの速さに、ただ圧倒されるばかりです。

賢治さんは それを百年近く前に予言していらしたんですねぇ!…と感動しました。

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「ひかりの素足」の天国は 鉱物的なイメージでした。

それを読むと ある場所に行きたくなるのです。…それは
「箱根 ガラスの森 ミュージアム」!!





     ということで

次は 箱根の 「キラキラ光る樹」のことを書こうと思います。





…すすきも ガラスで 出来ているのよ…。