夏空のもと

 

 今日の「キョロ散」は汗だくになりました。

 でも空を見上げればきれいな雲が空一面に浮かんでいました。

 

 汗だくになったけど、気もちいい散歩でした。

 

 それにしても「老人いじめ」のようなお知らせが来てガックリです。

来年の保険料の値上げのお知らせ。

 

年金から引かれるのですね。ものすごく高くなるようです。介護保険かな?

 

 それに、健康保険証が12月2日以降はマイナンバーカードにしろって言ってきたのです。

 病院の受付で見ていると、マイナンバーカードで手間取っている老人を見かけるので「これやだなあ」と思っていたのです。

 そもそも、マイナンバーカードって任意だったんじゃあなかったっけ?

 

 この歳になって、訳の分からないものを突き付けられるのはものすごく負担ですね。

 

 夏空のようにスッキリと老後を過ごしたいのに、皆さん大変なこってすね。

 そもそも僕らはもう「平和主義」は崩したくないのです。

 

 8月になると原爆や終戦の日を迎えます。

益々「老人いじめはするな」と言いたくなるのです。

 

  汗だくになりながら、昨今の「狭い視野の人間に汚染されて行く世間」を見るのが耐えられなくほど嫌です

金魚たちの値段

 

 昨日、EARTHの子たちに玄関前の水鉢に入れる「金魚を買ってきて」と頼みました。

 

すぐ近くの「ポロロッカ」というペット屋さんに行ってもらいました。

 

 しばらくして戻って来て、金魚5匹買ってきてくれました。

 

 「いくらだったの?」

  「100円」   「エ~っ、100円?一匹20円?」

 

 ビックリ仰天です。

20円?何が買える値段だろう?

 

  何やらの「餌」になるような金魚なんだそうです。ピラニアのエサ?

 

 とにかく、今朝ホテイアオイの咲く水鉢に入れました。

とりあえず、20円の金魚たちは泳いでいます。

  まさか「自分は20円だ」なんて思いもしないでしょうけど。

 

 皆まとめて100円。

   しばらく悩みそうです。

 金額で価値を決めている皆さん、20円だからっていい加減に扱ってはいけませんよ。政治にはカネがかかるって言っているおじいさんたちにも「金魚は値段ではない」とその価値を教えてやりたいです。

 

 

「トンボ」が入って来た

 

つい先日、露木先生にご無理を言って「EARTHの子たちだけの自然観察会」をしていただきました。

 

 とても楽しかったようで、皆イキイキとしていました。

 

 今日、さっき、開けっ放しの玄関から「トンボ」が一つ入ってきました。

 

 すると何人もの人が「オオシオカラトンボの雌」だとすぐ言いました。

 今までどれを見ても「トンボ」としかわからなかったのにすぐに何人かが名前がわかるというのは快挙です。

 

 「興味関心」というのは皆の意識を発掘してくれるのですね。

すぐに「トンボは何トンボか?」と意識化しているんですからすごい。

 

 露木和男先生のチョウやトンボへの関心が皆に伝染したのですから、まさに自然観察会効果です。アリガタイですね。

 

 別にトンボの名前がわからなくても生きてはいけますが、自然への興味は「僕らと自然とのかかわりあい」という重要な課題なのです。

 

 この課題に答えを得て行かないと人類は地球の生命体ごと、ものすごい苦しみ(地獄)に追い込んでいくことになるのです。

 

 

 

 

 

昔のよさはないね

 

 僕らが子どもだったころ、早川の築港と呼んでいた小田原漁港に昨日行きました。

 

 子どもの頃、山の上から見る早川あたりの景色が大好きで、時々見に行きました。

 築港にも時々行ってヤドカリやカニなどをとって遊びました。

 

ところが、今はもうその面影はなく、ハバという海藻のようなものを採れそうな場所もありませんでした。

 

 中学生の頃には、少し小田原寄りの海岸(名前は忘れました)に散歩に行ったり、砂浜の植物を観察したりしていました。

  懐かしい場所です。

 

 浪人中には気晴らしにその辺の海岸(そうだアラクと呼んでいた)・・・どんな字だったんだろう?「アラクの海岸」って・・・ふらふら歩いて色々妄想していたのですね。

 

 そんなこんなで、50年も60年も過ぎて「小田原漁港」はまるで観光地のようにもなっていました。港の周りには食べ物屋がたくさんできています。

 

 素朴なイメージは残っていませんでした。

 

 時代は変わったのですね。人の心も変わったのですね

 

 そうだなあ。母校の小田原高校当たりの山の上はどんなふうに変わっているか、今度見に行ってみたいです。

 よく考えたら小田原市から離れてもう50年もたっているのですから。

里芋の葉に「きつさ」はない

 

 何にも珍しくはないけど、雨が降ってた今朝早く

 里芋の葉に「水滴」が乗っかって、動かすとコロコロと移動します。

 その様子が子どもの頃からなんだか好きなのです。

 平和な感じがいいのです。

 

 この頃世間の言葉が「きつい」と思います。

 人の話しを攻撃的に「非難」したり「罵ったり」とてもイヤなのです。

 

 いつからこんな「きつさ」が蔓延するようになっちゃったのでしょうね。

 

 何か言うと、反対意見の人がきつい言葉で「攻撃」するのです。

 嫌な風潮です。

 

 その点「里芋の葉」はツルんとしていてどこにもひっかりはなくて

 「水滴」をコロコロと移動させています。

 「滑らかに」「滑るように」

 

 平和な証拠です。里芋の葉。

 

 

どうしてこんな花が

 

玄関わきのプランターの端っこに何だか貧弱なホタルブクロが咲いていました。

 

他のホタルブクロはもうとっくに大きく伸びて、それぞれに花をいくつも咲かせていたのに、茎を伸ばしもしないでこんな所で咲いてしまうなんて・・・。

 

 でもよく見たら真っ白で可愛く咲いているのですが。

 

自分自身を見ている様な気にもなりました。

 人並みには生きてこれなくて、世間の端っこでひっそりとあまり見映えのしない姿ですからね。

 

 それでもいいから一生懸命咲けばいいのだと、この歳になって益々思うのです。

欲張って、皆と同じに立派に美しく咲かなくても良いのですね。

 

 はたから見たら「どうしてこんな人間が」と思われても仕方ないのです。

 

今朝の中日新聞・東京新聞のコラムです。

今日は僕の番だったので掲載分をここに貼り付けますね。

 

ペスタロッチという人の言葉を書きました。貧児の教育などを目指した人です。

人間に高級も低級もなく平等に教育が大事なのです。盛大に咲く花もヒッソリと咲く花も価値は同じです。競争ではないのですから。

 

 

 

 

 

ちょうどいい「心地よさ」

 

 今日もにぎやかに「ニコニコ茶畑」の草取りなどの作業を皆でしました。

 

 お昼には皆揃って持ち寄った「昼飯」を食べました。

と言っても、たいていが少しい多めに持って来てサービスしてくれる人がいるので、子ども達はごちそうになるばかりですが。

 

 作業の後はとても和やかです。

 

段々と帰って行って、しまいに3人の方が残り楽しくお話していましたが、外は雨が降って来ました。「雨ですよ」

 

 自転車できていたご近所のNさんがいたので、車で来ている人が「送って行きますよ」と言ったら「だいじょうぶですよ。そぐそこですから」と言っています。

  「でも、濡れちゃうから送って行きますよ」

   「だいじょうぶです。かえって気持ちいいので」と。

 そうですよね。濡れるイコール気持ち悪いというわけではないのです。

 

 「このぐらいの雨ならちょうどいい心地よさです」

 

 子ども達はよく「濡れるなんてへっちゃらだ」と言って、わざわざ裸で外に飛び出す子もいます。もちろんお母さんには叱られてますけど。

 

 「ちょうどいい心地よさ」というのはマッサージの時の「痛いけど気持ちいい」というのにも似ていますね。

 

 そういえばニコニコ茶畑の作業も重労働なのに「ちょうどいい心地よさ」と感じている人たちの集まりですね。

 なかなか面白い感じですね。

  

 こういうのって他にもたくさんありますよ。

厳しさ・優しさ

 

「くだかけ」の教育や人生の方向は「あんしんと平和」だと何時も言っています。

 

実はこのお題目はただのホンワカした目標ではありません。

かなり厳しい、本気の実践です。

 

厳しさは「全真堂」の「達磨さん」ほどの厳しさです。

気合の入った生活が無ければ「あんしんと平和」の実践はありません。

 

実はこの達磨さんは全真堂の全体に睨みをきかせている割に皆さんはその存在に気づきません。

 

ほんとうの厳しさというのはそういうものですね。人に要求することではありません。

 

目立つところで監視していないのです。

「あんしんと平和」はそういうものなのです。

 

ウカウカとなんだかホンワカ楽しい所だなあと表向きは暢気で楽しそうですが、実はとても厳しいのです。

 

さて明日は「ニコニコ茶畑」の作業日です。こうして地道にコツコツやってこその作業です。無農薬で広い茶畑を手入れするのは大変です。時には「チャドクガ」にもやられます。

 

大変な作業が終わった後の味わいはまた格別です。ただただ重労働ですからね。

 

「収穫を問わずただ耕耘を問う」です。「くだかけ」の厳しい本質です。

 

 

 

エゴイストとナルシシスト

 

 今朝の「ヤマユリ」は昨日よりまた一段ときれいでした。

 

土手の上の曇り空をバックに「これは美しい」瞬間です。

 

 最近、エゴイストが多くなっているようで、世間はとても狭い空間に生きていて辛いですね。

 パワハラで虐げられてしまう弱者も「エゴイズム」に負けているのでしょう。

 

「自己中心」という視野の狭さは人類社会を行き詰らせていくように感じます。

 

資本主義経済の間違った方向かもしれません。競争を生み出しているのですから。

 

 そこで思い出したのが、京都にある「一燈園」という共同体です。

とても面白い理想があって魅力的なのです。

そこは「共存」ですね。

 

 詳細はまたいつかお話してみたいと思います。

 

 もう一方で「自己陶酔」型の「ナルシシスト」という人も増えているように思います。

「自分の実力」にウットリしているような進歩のない人たちです。

 

 隣にいる人たちの役割にさえ気がつきません。

 

 そんなわけで「自分勝手な自己陶酔」がもたらす社会への悪影響は、もしかしたらこれからますます拡がって行くのかもしれませんね。

 

 エゴイスティックでもナルシズムでもない「ヤマユリ」はもうしばらく楽しめます。

優しさが強さ

 

庭のキョウチクトウが咲きました。

いよいよ夏ですね。

キョウチクトウはとても強い植物ですが、花はとてもやさしい感じです。

 

 夏の間中楽しめますね。この優しさは。

 

 最近の風潮として、「やさしさの欠片もないような」とてもイヤな雰囲気の論調が子ども達にも浸透しています。

 

 「論破」とかいうイヤーな言葉もあるようです。

 言い負かすというような意味なのかな?

 

人を受け入れるということの大事なものが感じられず、優しさの欠片もないのですね。

 

 そういう人が都知事選に出て「受けた」というからいろいろ調べてみると・・・

 

「人を思いやる」という大切なことが失われているのです。

 

 自分の正当性を主張するのにも、人間としての基本は忘れちゃあいけません!!!

 

子ども達によい見本とは言えませんから、なんとかしなければなりません。

 

 僕らはもう昔のお爺さんですけど、どんなに自己主張したって「人への思いやり、優しさ」は忘れちゃあいけませんよ。昔のヤクザだって人間味はあったのですからね。

 

 その点、自然界はちゃんと優しさも兼ね備えているのです。

だから「強い」のです。

 人をぶった切るようなことしても、本当の「強さ」にはなりません。

 

暴力は「口」にもあるのです。要注意の見本みたいな人が目立つことして