はたらくことの教育的意味

 

 「まなぶ、あそぶ」と来たら次は「はたらく」ですね。

 

 ここで言う「働く」は労働や職業のことではなくて「教育」的な意味として「はたらく」という項目です。

 

 だいたいが子どもの頃に何か「お手伝いをさせられる」ということは大きらいですね。

 

 では、子どものはたらきというのは何にも必要がないか?というと、「はたらく」ことによって伸ばすことのできる能力があるということです。

 

 ですから、子どもの勉強時間の確保のためには、何のお手伝いもさせないという姿勢では問題がありますね。残念過ぎるのです。

 

 家庭という共同生活の場では、子どもと言えども何かしらの役割をもって「はたらき」を発揮することは大事なことです。そうすることによって自分の居場所が確保でき、あんしんに結びつきます。

 

 「お手伝い」でもいいのですが、できれば主体性をもって「はたらき」を発揮できるという位置づけがもっと大切です。

 

 

 「はたらく」ことで勉強の成績が上がるかどうかは分かりませんが、気持ちが積極的になれて頭も働くようになるのは確かです。

 

 働けない子は「どう動いてよいのかがわからない」ということですから、少しずつその役割を認識出来たら「はたらく」ことができるのです。

 

 「教育」の中で「共感する」ということを積極的に実現するのには、自分の「はたらき」を積極的に発揮して行けるようにするのがいいですね。

 

 自分勝手な大人が増えているのも現実です。(政治家だけでなく)

 

 口先だけで、ちゃんとはたらきを理解していないのですね。

 

 今日の「横浜あんしん会」で皆さんのお話を聞いていて益々「現代は『人生科』という人生の宿題が必要だ」と感じました。

 

 「トコトン人生科」はたった一行の項目でできるのですから。