全ての原点「あそぶ」こと

 

 昨日書いた「学ぶ」に続いて「あそぶ」ということの基本的姿勢が大いに気になるのです。

 

 「あそぶ」ということの何たるかを問わないで、ウカウカと楽しければいいということを求めているうちに、「欲望の満足」の質が低下して行くのです。

 

 今や子どもの遊びはすっかり「商業主義」に引きずられて「あそぶ」は「あそばれる」に変質しているのです。

 

 小さい満足に引き込まれます。

 

 「学ぶ」と同じように「教え込まれる」という受け身の姿勢を育ててしまうのです。「あそばれる」「あそばされる」という出来事に負けてしまうのです。

 

 では、本来の「あそび」はどんなんものか?人間だけでなく他の動物も「あそぶ」ことで育って行く能力というものがあります体や感覚・感性などなどの能力の基本で

 

 「あそべない」子、がわんさかできて来て、個人でも集団でも遊べないのです。

 これが社会の行き詰まりに通じていきます。

 生産性にも影響があります。

 

 道具を使う、人とうまくやって行く、体験を拡げて行く、行動する、成功の体験を活かす。そんな様々な能力が人間にはとても大切です。

 金だけ儲ければいいという世知辛いことになってしまい、その先の楽しみが描けません。

 

 実は子どもの遊びには何種類ものがあります。特にママゴトなどに代表される「ごっこ遊び」には大切な能力が潜んでいるし、「鬼ごっこ」などの種類には大切な伸びて行く能力があります。自然遊びや草花あそび、言葉あそび、など昔は何もなかったからみな工夫して「あそぶ」ことを創造していきました。

 

 今では機械のスイッチを入れたら「あそばしてくれる」ものばかりですから、どうしても「あそばれてしまう」のですね。

 

 できれば7歳ぐらいまで思いっきりいろいろと遊んでいたいのです。

 

 僕は「あそび損なって来た子達を、あそびで取り戻す人生」という視点でやって来ました。とても面白いことに、何歳からでも「幼児期のあそびから」取り戻す能力が存在しているのです。大事なことです。「あそぶ」能力は。人生が豊かになるかどうかのことですから。