「よかったね」と「悦び」

 

 僕は毎日のように事務所の周辺をお散歩します。

 

 その辺に咲いている花や草を見てキョロキョロしているから「キョロ散」と称しています。たいていが30分ぐらい。

 

 今日はよく通る道の途中で、大きなお屋敷の庭にある大きな木に気がつきました。

 それと言うのも「白い花」がたくさんついていたからです。いつもは気がつきませんでしたから。

 

 名前を聴いたら「シマトリネコ」という木のようなのです。

 

 それとは関係ないのですが、歩いているうちにまたまた「悦び」という言葉が頭に浮かんできました。今日は少々足が痛かったのですが・・・それでも。

 

人生において何ごとも、どんなことも先ずは「よかったね」問う口癖は30年か40年も前に寮生の子に気づかされました。

 

 「先生、いつもどんなことでも『よかったね』と言うね」と言われて、それ以降、よく考えると本当にどんな時にも「よかったね」「よかったじゃん」といっているのです。どんな時にも、どんなことにも。

 

 「キョロ散」しながら、今日は「悦び」という言葉が「よかったね」ということだなあと思ったのです。

  

 神さまか仏様かよくわかりませんが、与えてくださったことですから、プラスと思えることもマイナスのことも、どちらも「よかったね」なのです。

 

 「悦び」というのは、人生のどの場面にも存在しているのですね。だから「よかったね」なのです。

 歩くときはできるだけ「気持ちよく歩こう」と思うので、気持ちも軽いのです。

 

 「悦び」というのは気持ちが軽いのかもしれません。

 

 「シマトリネコ」という大きな木。明日も見てみたいです。「キョロ散」は結構新しい発見もあります。