国の理想と人類の宿題

 

 さっきもニュースで「世界の核兵器の数」というのを言っていました。

 

 どうして人類はこれほど愚かなのかとうんざりです。どこまでバカなのでしょうね。

 

 昔、といっても50年ほど前ですが、世界のあちこちで「世界平和」の提案がなされていました。わが日本でも「平和憲法」のもといろいろな「平和の提唱」がされていました。

 

 僕らは「国の理想」をもとに「国家エゴイズムを超えて」という提唱をしていました。

 

 「理想」無き・・・「現実」と称する現実はとても危うくて危険なところまで人類を追い込んでいます。もう少し冷静に「これからの子ども達にはあんしんしておいしいものを食べてイキイキと暮らして、希望をもって人生をおう歌できる将来」を創造して提供していきたいのです。

 

 「国家エゴイズム」という言葉はあまり一般的ではありませんが「人間のエゴイズム」を「国家」に当てはめることの間違いはずっと「人類の宿題」にするべきことだったのです。

 日本は原爆を2発も食らって、東京では一晩で10万人も焼き尽くされ、戦地では兵隊さんが若いのに餓死させられ、とんでもない目にあったのでした。

 

 その反省のもと「平和憲法」を忠実に実行していれば、今頃人類はもう少し充実した「あんしんと平和」を手に入れていただろうとおもうのです。

 

 残念なことに「普通の国」にしちゃいたいという人たちが「人類の理想」を捨てちゃったのです。世界の見本として強力な影響を提供できたはずなのに、残念なことです。

 

 今からでも、この人間社会を「あんしんと平和」なものに変えていくためにも、もう一度「国の理想」として「国家エゴイズム」というものに真正面に向き合ってみたいところです。

 

 しっかりした人類の未来を教育から創っていきたいですね。