努力の中身

 

 前にも「努力」については何度も書いてみたくなって、書いているのですが、「人生」に置いての「努力」の位置や中身は、「教育」とも関連して「精進」や「進歩」ということにつながって行きますね。

 

 「努力をしろ」というのが一般的で「努力は自分のためだよ」なんて言いくるめられます。

 

 ところが、僕は父親から「努力はできる」と言われたのです。

 

 さてそうなると「努力とはどういうことか?」と考えてしまいました。

 「できる」と言われると「せよ!」とか「するべきだ」というのと違いますから。

 

 「外目標」と「裡目標」の違いのようにも思います。

 

 「努力はできるのだよ」と自分の裡に取り込めば、昔から「くだかけ」に来る子達の中に、突然目覚めたようになって、ものすごい進歩をするという子が何人もいました。

 

 人からやらされているのと、自分の裡に励みを見つけるのとではこんなに違うのか?と感心するのです。

 

 要するに「努力を強いる」より「努力はできる」という「裡なる教育」が大事な「人生科」の中身だということです。

 

 ちょっと面白い「努力」に関する話です。そもそも「くだかけ」で提唱している「人生科」はこういう「人生の宿題」であって「こうすべきだ」ということを押し付ける「道徳」とはかなり違いますね。

 

 長年やって来て、ようやく「あんしん」に到達できつつあります。