野生の味が野性味か?
僕らは標高450メートルの山の中に暮らしているので、時々テレビの「ポツンと一軒家」に出ちゃうんじゃあないの?と言われますが、山北駅からわずか6キロ、徒歩90分ですから、隣の家まではたったの一キロですから、それほどの山奥という場所ではないのです。確かに人はいませんけど。
昨夜も夜中に外で「ギャー」だの「キャー」だのと動物の悲鳴が聞こえて皆目が覚めてしまいました。
朝起きたら渡り廊下の橋の上に、動物のウンコがしってあったのです。
早起きの人が見つけて「こんな所にウンコしってっちゃった!」と片付けてくれたようです。なかなか都会じゃあ経験できないでしょうね。
さて、「野性味」というのはとても魅力を感じますが、どんなことを言うのでしょうか?山の中に暮らしていても文化的な「オール電化」なんて家に暮らしている人もいます。ずっと向こうの山向こうの集落にですけど。
僕らの家は相も変わらず「薪」で焚いています。
今朝も思いましたが、僕は雑巾がけしている床が、よく見ると縁の下が見えているなんていう家に長年暮らしているので、羽目板の隙間からは外から草が侵入しているところもありますよ。冬は隙間風がきついのですよ。野性的でしょ。
まことにワイルドですね。野性的ではあります。
「野生の味」というのはこういう味わいのことでしょうか?
一方、ニワトリを飼い、畑を耕し、田を作り、山の木を伐り出しています。
こういうのを野生的という味わいというのでしょうか?
そこら辺を飛び歩いている鶏を絞めてその肉を食べたり、イノシシやシカをとってその肉を食べています。これを「野性的」というのでしょうか。
どうも子ども達に伝えたい「野生の味」というのは「いのちの味」という味わいかと思います。
食べ物の味というより「生き方の味わい」と言ってみたいと思うのです。
人間の暮らしはどうも「野性」から遠く離れてしまったようなのです。
僕も車で行くより徒歩で行き、メールより手紙に書いて届け、できるだけ「手作り」のもので暮らす。
そういえば昔、松田高志先生が「3手」運動なんてことを一人でなさっていました。
手作り、テクテク、手紙の三つでした。まさに野性味です。
失わないようにしてみたいです。