意外とワタクシおせっかいな性格のようで人が人生の路頭に迷っていると助言したくなる。
というかしている。結構真剣にわら











そんで勝手にがっかりしたりイライラしたりしている叫び










そんなときに例のお坊さんお坊さん(わからない人は個人的に教えます)のお話で「慈・悲・喜・捨」というのを知りました。まぁどっかで耳にしたことぐらいあるかも知れません。










その中でも「捨」にとても共感を持ちました。
「世の中には色々なひとがいるなぁ、ひと様々というのは本当だな、ワタシはそれに影響されることなく冷静に観察するしかないのだ。ああだ、こうだと言っても私にはどうする事もできないのだから・・・は」という意味だそうです。










そう、私にはどうすることもできないのです棒人間








人は不安や恐怖、面倒くささを感じると「越えなくてはいけない壁」を感じててもそれを避けて進もうとします。
「どうしたらいいかわからない」と言いつつ本当はわかっている人は多数存在すると思います。










ただわかっているのに自分に言い訳をして壁を避けて生きていると何年たっても進めません。










先日、元彼(というのか?)から電話がありました。「君みたいな子は探してもいなかった。なんだよチクショウ。幸せなの?ずるいよ痛い!!」









もう2年も前の事を40歳にもなる男性がいまだに言うのか・・・とビックリしました!(と同時にアタシみたいな子はそうそういないゾとも思う)
彼はこうなった結果をワタシのせいだと思っています。
自分の非を認めるのが怖いのです。だってそうしたら自分が変わらなくちゃいけないから。
















自分が余りにも意気地なしで小心者で不器用で・・・そんな自分は見たくないです。認めたくない。自分にとっては非常に残酷な事実。
でもそれを見据えないと何を変えたらいいのかわからないのです。でも見据えなければ変える必要がない。楽なんです。

















楽してる分人は成長しないのでいまだに子供みたいな事を言ってしまうのですね。
高校生だったら可愛いです。でも40のオヤジだったら「お粗末さまふけー」としか言いようがない。中年にもなってそんな風におもわれたいですか?












50歳になって人生に迷いを感じて占いに行きたいですか?そういう人が実際存在するのです。














わかっているのは「自分でやるしかない」という事です。他人に依存していたらいつまでたっても他人の人生に振り回されるのです。自分の足で歩いて自分の真実を探すしかないのです。
ワタシはそれを見守ることしかできないのです。
















頑張ってわらびっくりマーク