野間宏「暗い絵」の冒頭
以下引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「草もなく木もなく実りもなく吹きすさぶ雪風が荒涼として吹き過ぎる。
はるか高い丘のあたりは雲にかくれた黒い日に焦げ、
暗く輝く地平線をつけた大地のところどころに黒い漏斗(ろうと)形の穴が
ぽつりぽつりと開いている。
その穴の口のあたりは生命の過度に充ちた唇のような光沢を放ちうずたかい
土饅頭(どまんじゅう)の真中に開いているその穴が、繰り返される、
鈍重で淫らな触感を待ち受けて、まるで軟体動物に属する生きもののように幾つも大地に口を開いている。
そこには股のない、性器ばかりの不思議な女の体が幾重にも埋め込まれていると思える。
どういうわけかでブリューゲルの絵には、大地にこのような悩みと痛みと疼きを感じ、
その悩みと痛みと疼きによってのみ生存を主張しているかのような黒い円い穴が開いているのであろうか。
遠景の、羞恥(しゅうち)心のない女の背のようなくぼみのある丘には、
破れて垂れさがる傘をもった背の高い毒茸(どくたけ)のような首吊台がにょきにょき・・・」
引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初めてこの小説を読んだ時、野間は天才だと思った。
ブリューゲルの不気味な絵画を上手に表現できていて、
今でこそ、普通に見ることができるが子供のころに見た印象は「不気味な怖い」絵画であった。
野間を僕が天才だと思ったのは、小説の暗い雰囲気を作り上げるのに、
ブリューゲルの絵画を使い、文章で不気味さをイメージ化することに成功しているからである。
この小説を読んだ時に僕は成人していたが、
野間の文章によって幼少のトラウマ体験がよみがえったのである。
野間の文章を読んで、僕はブリューゲルだけでなくボスの絵画もイメージした。
ボスの「快楽の園」を今になって見ると「天国は退屈でつまらなそう」であるのに対し、
「地獄の方がにぎやかで面白そう」に感じる。
ピーテル・ブリューゲル 「死の勝利」
完成: 1562年
ヒエロニムス・ボス 「快楽の園」
制作: 1503年 - 1515年
大人になって、幼少時のトラウマを思い出すことは他にもある。
僕は小学4年生から6年生(1980~1982)まで親の仕事の都合でロンドンにいた。
その時、親に連れられてロンドンナショナルギャラリーに行ったことがある。
「少女が目隠しをされて、今にも首を切り落とされそうな場面」の絵画がとても印象的で、腐るほどあった名画の中でその作品だけ特に覚えている。
子供だったので、キャプションなども見ないし展示されている絵画自体にも興味がなかったが
この作品だけは強烈な印象だった。
つい最近、中野京子著「怖い絵」という本を読んだが、この時のトラウマを思い出した。
40年の時を超えてトラウマがよみがえったのである。
ポール・ドラローシェ<レディ・ジェーン・グレイの処刑>
制作年1833年
個人的にロンドンにはトラウマが多い。
マダム・タッソー(蝋人形館)での思い出もスターや有名人の記憶はなく殺人鬼の蝋人形を今でも覚えている。
当時カムデンにあったロンドン日本人学校も恐怖の記憶しかなかった。
隣がキリスト教の教会で、もともと教会施設を半分借りて使っていたので、建物の中に墓みたいのがあって子供ながら怖かった。
当時は、迷って建物から出られなくなる夢をよく見た。
そもそも、キリストにトラウマを感じていた。
何で、十字架という処刑、拷問器具を象徴としているのか。
キリストが死んでる絵や像を飾るというのが怖いと感じていた。
もちろん慣れれば、
そういうものであると深く考えずに割り切れると思うのだが、
子供の俺から見れば、「キリスト像」も「殺人鬼の蝋人形」も同じ怖いものという印象でしかなかった。
(つづく)