突然だが、いま気になったアーティストが2人いる。


円空と山下清だ。


円空は寛永 9 年(1632 年)に生まれ生涯 12 万体の仏像を彫ったと推定されている。
現在では 5300 体ほど発見されている。


北は北海道・青森県、南は三重県、奈良県まで円空の木彫りの仏像は存在している。
12 万体という驚異的な数に驚くが、円空がどのような気持ちで仏像を彫り、その地に残していったのか考察してみたい。


お坊さんが仏像を多くの人に渡して歩いたので、布教という意味でもあるのだろうが、キリスト教徒などが布教するのとは、少し意味が違うような気がする。


ヨーロッパでは、ルネサンス期(14 世紀~16 世紀)に入り、キリスト教の絵画は写実的になり、現在でも真似のできない技術に達している。


円空の仏像を見ると、原始宗教に通じる「美」があり、素朴で微笑ましい作品である。
言い換えれば、お高く留まってなく、庶民的で親しみやすい。

 

 

 

山下清は、1922 年(大正 11 年)に生まれた。


軽い言語障害、知的障害があったものの、ちぎり紙細工で才能が芽生え、タンクトップにおにぎりを食べて放浪するスタイルは、テレビドラマにもなり、「裸の大将」として有名人となる。


山下の作品が見事なのは、その作品を見ればわかることだが、山下が「どのような気持ち」でを制作したのかに僕は注目したい。


山下はテレビドラマのように、放浪した地で制作するのではなく、八幡学園や実家に帰ってから思い出して制作したそうである。


また、山下が書いた本には、その場で制作して渡したこともあったが、再度その場に訪れたときに、作品は売られてしまってその場になく残念だった。と書いてあった。


気持ちや状況を作品に閉じ込め、時空を超えて、今の自分に届いている。
この二人の作品を見ていると、そんな感じがする。
放浪先でお世話になった人に作品を渡す。

そんなやり取りが芸術の根源のような気がする。

 

【越後妻有 大地の祭典】
3 年に 1 度新潟で芸術祭が行われている。


この芸術祭は、2000 年から始まり広範囲に作品が点在する。
BankART(横浜にあるアート施設)企画で、合宿に参加した。
2022 年 8 月 11 日(木)~15 日(月)開発好明ゼミ


BankART は、十日町市桐山の農家を 2006 年に購入し建築ユニット「みかんぐみ」や現代作家と共に、小さなアートスペースにリノベーションした。


そこを宿舎として使用し、午前中は作品を制作し、午後は車で芸術祭の作品を見て回るというものだった。


開発先生からは、課題があり
ーーーー以下引用ーーーーーーー
3つの間について考えてもらった。
狭間 大きな空間に対して身体を使い1点、制作する。
隙間 両手を広げた以内の空間に手を動かして2点、制作する。
間 物の力を使わずに時間的な間を3点、制作する。
(合宿中一度は食に関する間を制作する事)
*間のみ過半数の賛成が得られないと再挑戦しなければなたなかった。
ーーーー引用終わりーーーーーー
というものだった。


初日の顔合わせから、4泊5日後の最終日まであっという間であった。


作品をただ鑑賞するだけでなく、すぐに制作することに情熱して、いかに自分の作品に取り入れるかを考えて、作品を見るようになった。


すごいと思う作品に出会っても、「負けられない」という気持ちで、寝ることも惜しんで制作するのが、とても楽しかった。


ぼくが体調不良で弱っていると、「荷物を持ってあげましょうか?」と声をかけてくれるやさしい参加メンバー達にも恵まれていた。

 


制作意欲が高い人が集まり、連日見た作品の事や制作した作品について話し合った。

 

【プレゼンテーション】


プレゼンの練習にもなったと思う。
個人的にプレゼンが苦手ではある。


なぜか自分がプレゼンをすると、敵が増えるのである。


作品を発表する際には、課題に沿っているか参加者全員に向けて説明をする。


ストレートでもイケナイし捻り過ぎてもイケナイ。
作品が面白いだけでもなく、説明が上手いだけでもなく、

その状況の「間」が絶妙に左右する。


それが面白かった。


みんな遠慮なく意見するし、客観的に的得ている指摘を貰えたのもすごくよかった。
夜には、自己紹介もかねて自己 PR を 30 分ぐらいするということもやった。
世代も性別もバラバラで初対面のメンツだったが、距離感はすぐに縮んでいった。


最終日にみんなと別れ、開発先生と別れる前にコーヒーを飲みに行った。
「自分も一緒に作品制作したかった」と開発さんが言った。
先生の立場であったので、企画を構成、準備、指導、評価その他雑用に加え、
運転手もこなしていたので、疲労は計り知れなかっただろう。
また、食事はじめ合宿所の仕事をしてくれた滝沢さんに感謝しかない。
食事はいつも美味しかったし、ごみの分別、布団干したり、接客したりと
大変そうであった。
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と去年の夏の事を思い出していた。


ところで山下清は、
「八幡学園や実家に帰ってから思い出して制作した」
ということだ。


彼には驚異的な記憶力があり、放浪先の出来事を細かく思い出して制作したそうだ。
俺もやってみよう。
2023 年 7 月 4 日