タイタン
何故だかわからないが、午後の一服中にスマートフォンで最新のニュースを見ると無力感に襲われる。アルジェリアで起きたテロ事件、学校からスポーツ界へと波及したいじめや体罰の問題、電力会社と原発のある地域で暮らす人々の対立、アラブの春以後、一向に成り立たぬエジプトの社会基盤による暴動、自衛隊から国防軍、アベノミクスが及ぼす効果と懸念、挙げればきりがない。その全てを理解しているのかと言われるとそんなことはまずありえない。ただこれらの問題、その頭数だけを指差し確認していくだけでも片手では収まらない数になるから、多分無力感に襲われるんだろう。イスラエルによるシリアへの空爆なんてのもあった。僕の知らないところで、いろんな事が起きて、起きて、明日もまた起きる。あぁ、何故人間は上手に生きることが出来ないのだろう?上手じゃなくていい、下手でもいい、もっとこう、なんて言うんだろう、転がってるちょっと大きめな石をひっくり返すとおぞましい虫がいるんじゃないか?という懐疑心を抱くことなく生きていけないのだろうか?それが虫だとして、もう救い用のないおぞましさを湛えていたとして、それがあるいは自分だったのかもしれないという忌まわしさとか、なんだかわからないけど、そういう無力感みたいなものが午後の一服中、たまに感じる感情だ。無力感という感情、それを感情と言えるのかどうか。起伏のない感情、空虚、虚脱、脱力、力、力…続かない。こんな時に読みたい1冊。タイタンの妖女。読書を愛する者、カート・ヴォネガットを信奉する者として、これは常に、あるタイミング毎に読み返したい1冊だ。カ、カ…カート・ヴォネガット。人生とは?そのゴールは?と考えるよりも、人生とは何故ここまで無力なものなんだろう?と考えることが、タイタンの妖女を欲してしまうことになる。インターネットで「タイタンの妖女 名言」と検索をかけるだけで、あらゆる場面を思い出すことが出来る。その全てが、今のこの世界、そして日本、そしてそこで暮らす人々に響いて欲しいと素直に願う。平易な文章で人々の心を揺さぶることを、文壇に立つ人間としては些か突飛な発想をぶち上げ、それを貫いたこのドイツ系アメリカ人を、僕はやはり心の師と仰ごうと思う。便利になったもんだ。もう一度読み返さなくともまた読んだ気持ちになれるのだから。だからこそ、また近日中に再読しようと思う。読書好きは、生きたページを繰る事がなにより好きなのだ。染みや折れや虫食いのあるページを繰るのが楽しいのだ。そこには、風化せぬ清冽さが存在しているのだから。また地震。もう嫌だ。僕は今夜、今夜は特に、あらゆる人々の安穏を願おうと思う。停戦記念日みたいな安穏を。誰もが平和を願うことを忘れていなかった時代の安穏を。そう思いながら、そろそろ寝よう。グッナイ。Android携帯からの投稿