漁港、また成田詣の通過地点としての宿場町でもあった船橋は宿場町の湯女が発展して、岡場所としても栄えた土地である。
戦後RAA指定地にもなり、その後赤線として営業した吾妻屋という妓楼である。
売春防止法が施行された昭和33年4月以前の昭和32年暮に廃業、料理店、お京として、恐らく青線的に営業、静閑荘と言うアパートに転業していたが、使命を終え廃墟のままであった。離れはクリーニング屋として営業もしていたことがあったようだ。
その後ひっそりとしていたのだが、2009年2月14日に出火。放火という事であった。
これは消火後、2月28日の様子である。
現在はマンションが建っており、正面にあるその時代の電柱が面影を僅かに残している。