どこから整理をはじめていこうか。

 

たぶん転機といえる今回の出来事を、客観視するためにも事実ベースで書き出すことからだと思う。

 

 

立ち上げた会社のこと

2018年に法人登記し、2023年は5期目の会社だった。

合弁で立ち上げた会社で、私はもともと一方の会社の従業員だったが、役員としてジョインすることになった。

相手方が6割、こちら側が4割。(わかりにくいので、以降を相手方:A社、こちら側:B社と呼びます。)

資本金は100万円。笑

 

なぜ私だったのかというと、もともとB社時代に「社員教育のためのサイトを立ち上げるから」と、巡り巡って任されたサイトが社内ではなく社外で認知度が上がっていったから。

当時、B社では色んなサイトを立ち上げていたけど、花がひらくものはなかった。

だからみんなやるのを嫌がった。

当時私は人事部に所属しており、社内教育のためだからと私にまわってきたけど、クリエイティブ部門からの誹謗中傷はすごかったし(笑)、人事部からの協力もなく、部下も嫌々やっていたと思う。

しまいにはやりたくないという声があり、結局は自分一人で巻き取った。

上司も何も助けてくれることはなく、上司でさえも馬鹿にしていた。笑

本当、笑うしかない。

 

マネタイズ化まで至っていないサイトを法人化するっていうのは、おそらくA社と組みたいという思惑があったからだと思う。

そして資本比率がA社が高かったのも、A社に責任を持たせたいという表れだったと、後からB社の仲良かった役員から聞いた。

 

はじめの1年目はマネタイズもままならなくて、B社の役員で法人化した会社の代表となった人と試行錯誤の繰り返しだった。

私自身もずっと人事の経験しかなく、PV・UU・SSって何?という状態だった。笑

 

2年目は奇跡が起きて、国からの事業を請け負いでやることが決まった。

関わる人が増え、責任も増した。大変だったけど、とても刺激的で楽しかった。

それが2019年。

 

3年目は大手法人との業務委託も決まった。

前年度の稼ぎをもとに、人も採用した。

2020年の1月には、コロナの波がもうすぐそこまできていた。

 

2020年の4月に、正式にB社から転籍をした。

2月くらいに、B社の社長から打診があったから。

それまでは、B社の雇用内でB社の仕事と法人化した会社の業務をやっていた。

会社が軌道にのるまで雇用をしてくれていたことには感謝している。

けど、B社の仕事として人事部だから売上は作れないけど、助成金の申請で通算5億くらいは会社に貢献できているから費用対効果は良い方なんじゃないかと思う。

 

転籍を決める頃には、コロナは猛威をふるっていた。

そんな中で、立ち上げ間もないベンチャー企業に両足を突っ込む意思決定って、一見バカなんじゃないかと思う。笑

しかも合弁で立ち上げた会社の役員は全員、私以外A社とB社の在籍のまま。

B社の社長から打診というのも、正直オフバラだと思った。

 

 

B社時代

B社に勤めていた時、辞めようと思ったことがある。

 

B社とは、B社を立ち上げするときに人事として参加させていただいていた。

だいぶハードな立ち上げだったし、当時は新卒に毛が生えたくらいだったので、仕事も時間がかかって徹夜なんてざらにあった。

月に100~200名くらいの採用面接は当たり前だったし、入社手続きも入社する数だけあるし、退社手続きだって一定数ある。

当然会社の立ち上げ時なので採用面接の管理ツールもなければ、面接シートさえない。

入社手続きの書類もないし、退社手続きの書類もない。

だから自分で用意しなければいけないし、理解もしなければいけなかった。

 

当時は人事で先輩社員もいたが、ハードワークすぎて2か月もしないで退社していった。

一人でこの業務をするのは無理だと判断したB社の社長は、私の下に部下を2名つけてくれたが営業部の新卒の男の子と女の子。

当時24歳だった私とあまり歳は変わらないけど、営業部なだけあって気は強かった(笑)し、人事はもちろん未経緯、私も部下を持つ経験がなかったので、とりあえずすべてのことを一緒にやって、見せて、覚えてもらった。

部下の二人を帰した後に、やっと自分の業務ができるといったかたちで、終電に間に合わなければ徹夜確定!の日々が続いた。笑

 

それでも何とかやってきて、採用も立ち上がり、部下も育って、次は教育の立ち上げだということで新卒研修から、一般社員研修、責任者研修、幹部研修までプログラムと内容を準備し、進めていった。

営業のことは教えられないので、考え方だったりPCスキルのようなものだったり。

正直、本の受け売りだったと思う。

特に幹部研修なんて、ベンチャー企業で役員陣も若いといえど、経験もない人間に教わっても・・という感じだったと思う。笑

今となって思えば、滑稽で恥ずかしくなるし、時間を無駄にさせてしまったとも思うし、もっと違うやり方、自分がやるとかではなく、自分ができなければ社長を呼ぶとか(確か1度くらいは呼んで話してもらったかも)、外部から講師を呼ぶとか、お金をかけられないのであれば幹部陣に持ち回りでやってもらうとか、そういった企画をすればよかったと思う。

 

その教育部時代に上司として、新卒の時に上司だった人がB社に入社した。

尊敬していた人だったし、私がB社に呼んだに等しかった。

また一緒に仕事が出来るんだと嬉しかった。

 

でも・・・。

 

尊敬していた上司は、昔の尊敬していた上司とは変わっていた。

もしかすると、私が見えていなかっただけかもしれない。

上司ではなく、私が変わっただけかもしれない。

 

仕事はしないし、できていなくて社長から指摘されたことを私のせいにされ代わりに怒られることもあった。

入社して間もなくて周りを伺っていただけかもしれないし、上司として入社する重責もあったのかもしれない。

私もそう思える器があれば許せたかもしれないけど、自分の中にある上司の姿とはかけ離れていて、尊敬していたからこそ期待してしまっていたのだと思う。

 

上司とは話し合いをしたけど、信頼が回復することはなかった。

その時にB社を退社しようと思った。

 

 

はじめての転職活動

リクルートエージェントに登録し、転職活動をした。

ありがたいことにそのリクルートから自社に入社しないかと声をかけていただいた。

正直嬉しかったし、人事を極めるならリクルートだと思い選考を受けた。

まさか受かるとは思っていないし、むしろ落ちれば諦めもつくと思っていた。

SPIはボロボロ(笑)、面接は久しぶりにワクワクする気持ちになったし、楽しかった。

「本当に辞めれるの?」という質問にだけ、ちゃんと答えることができなかった。

 

1次選考は、なんと合格。

嬉しかった。けど、「本当に辞めれるの?」という言葉がずっと気になっていた。

 

2次選考に向かう直前、少し時間があったので会社のメールをチェックしていた時、たまたま社長からのメールを読んでしまった。

「お前の部署に配属したいから面談して」

 

承知いたしました。と返信し、2次選考にのぞんだ。

上司になる予定の方との2次面接。

女性の方で、論理的に話ができる方。

総合職での選考だったので、マネジメントの大変さなど色々とざっくばらんに話をした。

30歳までには転職しないといけないと思っていると話すと、そんなことないよと言ってくれた。

リクルートには40代50代の人もいるし、と。

自分は面接のときに年齢なんて関係ないと言葉では平気で言うくせに、自分毎になると年齢を意識する。

でも意外とその一言が、はじめて働き方とか多様性とか、リアルに考えはじめた瞬間だったかもしれない。

 

おそらく分かっていたんだと思う。

転職する覚悟を聞かれていたんだと思う。

 

そして自分の中にやり切った感が持てていないこと、部下がいる責任感、そして半分は不合格となるこわさへのずるさから、2次選考を受けた後に辞退の連絡を入れた。

アドバイザーの方から何度か引き留めていただける言葉をいただいたけど、丁寧にお断りをした。

リトマス試験紙のように、ブレずに面接官の方が相対してくださったからこそ自分の気持ちに気付くことができた。

 

自分の気持ちに蓋をして、次に行っても長続きしない。

急がば回れというのはこのことかと身をもって体感した瞬間だった。

 

転職の話をどこで聞きつけたか、B社の社長に食事に誘われ、私もついぽろっと話してしまった。

それが運の尽きw

半分監禁状態で、夜中2時までめちゃくちゃ飲まされ、かなり激しいことを言われた。笑

 

・お前は〇〇や〇〇とよーいドンでスタートを切ったら負けるやつなんだ

・お前の旦那はお前が人事部でキラキラしたところにいたから結婚したんだ

・お前はどうせ中継ぎなんだ

 

ハイハイと聞き流せばよかったんだろうけど、さすがに効いた。苦笑

今は笑って話せるけど、当時はダークサイドに落ちすぎた。

リアルに死のうと思った。笑

 

これもおそらく私を必死で引き留めようとする思いの裏返しだったんだと思う。

当時はそこまで思えなかったから、本当しんどかった。

 

色々と話は脱線したけど、もともとB社を辞めようと思った過去もあったし、オフバラされるくらいならいっそのことB社も合弁で立ち上げた会社にも行かず、辞めようと思った。

旦那さんに相談すると、システム会社の社長をしている旦那さんのお兄さんに聞いてくれたみたいで、「立ち上げた会社の財務諸表を見てみて。もし財務的に売上が右肩で上がっているなら、もしかするとオフバラではなくB社社長の計らいかもしれないよ」と。

 

確かに売上は伸びていた。

 

コロナの波はきていたし、なんとなく世界が混とんとし始めるんだろうと容易に想像できた。

 

でも、やれるところまでやってみようと、挑戦することに決めた。

 

2020年4月。正式に転籍をして本腰を入れた。