今回は私の偏見なので、読んでもテニスの参考にはなりません。
学校の体育について思うこと。
体育の授業で何をやっていたのか思い出せますか?
鉄棒、マット運動、持久走、ドッジボール、水泳、サッカー、バスケットボール、バレーボール、、、。
この辺は、ほとんどの人がやったのではないでしょうか。
その頃の思いと、テニスの動きを教えてきた経験を合わせて、「体育の授業は役に立つのか?」と冷静に考えてみます。
はっきり言って、学校の授業で動きを教えてもらったことはありません。
教えるのが上手い下手は別にして、本気で動きを教えようとする先生は一人もいなかった。(小学校の5年間は女性の先生が担任、1年間だけ年配の男性の先生。その全員が共通していたのは、誰も動きの見本を見せることができなかったことです。生徒は動きのイメージすらできない。)
そして、それらの運動はそれ以来やっていません。
将来やる確率が低い運動を、動きを教えることができない先生が、体育の授業で
子供たちに対して、その当時の(今は知りません)体育の授業はお粗末だったと言えます。
例えば、ドッジボール。
生徒が男女5人ずつ10人いたなら、上手くボールを扱える(投げる、キャッチする)のは2人ぐらいです。あとの8人は遠くに投げれるが方向が定まらなかったり、味方の陣地にパスが届かなかったりする子ばかり。とくに女子は下手だった。
このとき先生は、できない子に対して動きを教えることはなかったです。見当はずれなアドバイスはしていましたが。
例えば、猫パンチのようにボールを投げる子に対して、「腰をしっかり回して全身で投げなさい」と言っていました。「猫パンチの腕の使い方+身体の回転」はつながりません。そんなことをしたら、どの方向にボールが飛んでいくかわかりません。投げたい方を向いたまま、「身体を回転せずに猫パンチ」のほうが、(弱いが)前には投げれます。
先生がきちんとやっとことがあります。それは、上手い子だけが集まったり下手な子だけが集まったりしないように各チームの強さを均等にすることでした。動きではありません。
これでゲームは盛り上がるのですが、やはり下手な子はかわいそうでしたね。味方からボールがパスしてもらえない。ボールをぶつけられる。
数人の上手い男子のやりたい放題。上手い子が鬼となって、下手な子にボールをぶつける様は、先生に許可されたイジメのようでした。近距離から思いっきり顔面にぶつけても先生から叱られない。せめて危険なときの身体の守り方ぐらい教えなさいよ。
下手な子からすると、体育の授業というのは恐怖でしかなかったと思います。
ドッジボールの授業内容は、ペアになってパスの練習とゲームだけです。
「ドッジボールのテスト」というものがありました。その内容は、なぜか「遠投」だけでした。
いやいや、的に向かって投げたり、ボールをキャッチしたり、ボールを避けたりって場面がドッジボールにはあるでしょ?(私は変わった子だったのかな。そんなことばかり考えていました。)
ね、お粗末でしょ。他もこの類です。
では、私が先生なら何をどう教えるか?
スポーツなどはやらせません。その代わりに、スポーツが上手くなるための動きを練習させます。
子供たちが将来、どのスポーツを選んでもいいように身体能力を高める練習を、学校の体育の授業でやります。
いいですか、
子供に身体の使い方を教えずにスポーツなどをさせるということは、足し算掛け算もあまりできないのに因数分解を教えようとしたり、日本語も上手く使えないのに古文や漢文を教えようとしたりするようなものです。
私が子供の頃、学校は、どうしてこれが理解できないのかと不思議でした。体育だけ扱いが違ってないかって。
なんで、いきなりぶっ飛んでスポーツなの?
スポーツをさせる前に、身体の動かし方がわからないとダメでしょ。
具体的にはどういうことか?
言葉と身体を合わせる。その動きを示す言葉通りに動けるのか。
例えば、目を閉じて(目を閉じるのは、目で自分の動きを調整するのではなく、身体の感触で動きを調整する能力を養うためです)、
・「右腕を伸ばしたまま、右方向に、右肩の高さまで上げる」、次に目を開けて、それができているかをチェックする。
・顔を左に向けて「右腕を伸ばしたまま、右方向に、右肩の高さまで上げる」、次に目を開けて、それができているかをチェックする。
・顔を上に向けて「右腕を伸ばしたまま、右方向に、右肩の高さまで上げる」、次に目を開けて、それができているかをチェックする。
・お辞儀をして(上体を地面と平行にして)「右腕を伸ばしたまま、右方向に、右肩の高さまで上げる」、次に目を開けて、それができているかをチェックする。
・上記の各体勢から「右手先を30cm下げる」、次に目を開けて、それができているかをチェックする。
などのようにして、各動きを、色々と組み合わせながら練習します。やり方は無限と言えるほどたくさんあります。上記のように右腕を上げるにしても、前から腕をあげるのか、横から腕をあげるのか、腕を真上に上げた後に肩の高さまで下げるのかなどで難易度は変わります。
自分の動きのイメージ(主観)と実際の動き(客観)が同じになるようにするというのが目的です。この練習は言葉の理解力も高めると感じます。
これができるなら、将来テニスを習ったときに、「バックスイングで、右手が胸の高さになっています。右手を右腰〜みぞおちの間の高さになるようにしてください」と言われたときに難なくできます。
バックスイングの右腕の体勢を認識できる人はほとんどいません。ボールを打つ前は、飛んできているボールを見ていなくてはならないので、振り向いて右手の位置を確認することができないからね。感覚だけが頼りになります。
下手な人の下手な理由の一つに、「自分がどう動いているのかが把握できていない」というものがあります。猫背の人は猫背であることを感じないのです。だから、正しい姿勢の良さを理解しにくい。その正しさが違和感となって不快だから。
(これは、身体が見えている範囲の動きは比較的簡単にできるようになることでもあります。例えば、「味噌汁を飲もうとしたが、間違えて冷奴を手に取ってしまった」とか、「卵焼きを取ろうとしたが箸が空振りした」ということはない。自分の手がどう動いているのが見えるから間違いにくい。)
自分の身体がどうなっているのかを、身体の部位をいちいち見ずに認識できれば、何かをやるときに(スポーツを練習するとき以外にも)大きなアドバンテージになります。
これができるようになってから、さあ走ろうか、さあボールを投げようかという話になれば良いと私は思っています。上達は早なります。上達が早ければ、運動が好きになる。
これでトップレベルの選手がバンバン育つというわけではありません。でも、とんでもなく下手な子はいなくなると感じます。
「学校でどんなことをやれば、将来役に立つのか」ということを私なりの常識で考えました。
これは、身体が思い通りに動かなくて苦労している大人をずっと見ていて思うことの一つです。
もっともっと書きたいことはあるけど、今回はここまでにしておきます。