放送中止の意味 | 皆様ご機嫌いかがでしょうか 

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【久保田光彦オフィシャルブログ】 

ロンドンから帰国したら、大相撲が大変なことになっている。野球賭博で、やれ解雇だ、辞任だ、降格だと、何十人の力士・親方が関与して、まさに存亡の危機と言っていいでしょう。結局名古屋場所は行われることになったのだが、NHKは放送を中止するという。昭和28年に始まり、半世紀以上続いた大相撲中継を、とにかく今場所は中止するというのは、やはり大変なことであります。

マスコミ論が専門の大学教授が新聞に寄せたコメントで、NHKはそもそも大相撲中継を広報的視点で放送していて、決して報道的視点には立っていないと、述べていた。実はスポーツ中継は、NHKに限らず民放も多かれ少なかれ、報道的視点には立っていない。権利を買って中継するわけだから、相手の協会はお得意様。人気スポーツなら視聴率が稼げる、つまり金蔓というわけである。

盛り上がれば、視聴率に跳ね返る。盛り上げるために、局はいろんなことを仕掛ける。云わば一蓮托生というヤツだ。その代わり相手のイヤがる事を放送すれば、世間的な盛り上がりは別として、相手から嫌われ他局に権利を奪われかねない。そんなこと、特に民放がするわけないでしょう。だから、報道的視点、言い換えれば批判・批評を含めたジャーナリスティックな言動が、中継では出来にくいのです。

そこで大相撲中継である。報道的視点に立てば、ここはやるべきであろう。中継の中で、今回の問題を取り上げ、角界の膿・暗部・触れられたくないところを、白日の下に曝す。結果相撲界の浄化と改善、新しい時代への適応の第一歩に繋がるかもしれない。イヤ、繋げるためにやるんです。

ところが、広報的視点に立つとどうなるか。身内意識だから、”お灸をすえる”とか”ペナルティー的意味合い”とか、協会に反省を促すために放送を中止する…という具合になる。もちろんそれはそれで効果はあるが、問題の本質に迫れるかといえば、果たしてどうだろう。放送を中止するということは、放送の本来の目的を放棄するということでもある。 即ち、大衆の知る権利と楽しみを同時に奪うことを意味する。NHKは、「大勢の方からの意見を踏まえて」というが、実際どっちが多いかは分からないでしょう。要は、電話なり投書なりメールなりで、声を挙げた人間の数の%で判断しているだけだ。

ここは一つ、すべてチャラにして物事を始めるというのは、どうでしょう。放送局も競争入札にして、高い権利金をだすところにやらせる。CXが権利を取ったら、K-1見たいになるぞ、きっと。女子アナがリポーターで支度部屋に入り、キャーキャー言いまくる。ゲストは曙と花田憲子。入場曲も使いたい、当然相撲甚句で決まりだ。国技もへったくれもあったもんじゃない。でもそれくらいやらないと、今の角界は変わらないと思いますヨ。

とにかく、この野球賭博問題を切っ掛けにして、是非大相撲の近代化に真剣に取り組んでほしい。以前にもブログに書いたが、大相撲をどう位置づけるのかが大きなポイントになる。スポーツなのか芸能なのか、グローバルなのかドメスティックなのか、伝統なのか現代なのか。進む道を決断する時期に、いよいよ来ましたネ…。