数日前から阪神・淡路大震災から今日で29年が経ったとニュースで流れています。
実家は甲子園球場近くのマンション5階。
当時の私はそんな実家の近くの団地に住んでいました。
10日後の27日に1歳の誕生日を迎える息子1号と並んで寝ていました
(不規則な仕事で元夫は別の部屋で就寝)
夢を見ている最中に何処か遠くの方からゴーーーッという音が聞こえてきたけど、夢の中の事、んと思った瞬間凄い轟音が響き、寝ている背中にツノの様な硬い尖った感じの何かが走りました。
布団の下に恐竜が走ったと思うくらいの衝撃でした
一瞬の出来事で、結局私は飛び起きる事も布団にくるまる事もなく、ただ布団の上で呆然としていただけで、ほぼ金縛り状態
チラッと横目で息子を見たら、何事もなかったように寝てる
それはそれで良かったのか
程なくして、元夫が
『大丈夫か?』
と?ふすまを、開け部屋に入ってきました。
ボーッとしている私に、
『今のは地震や!会社に電話したら直ぐに出てくる様言われたから、行ってくる。留守中家の事頼むわな。これだけ強い揺れやったから、余震とかもあると思うけど、気を付けてな』
と、伝えられ着替えて出ていく元夫を見送りました。
そういう仕事だったので、私も淡々としていましたね。
幸い我家の電気は数時間で復旧しましたが、ガスと水道は止まったまま…
何故か床が濡れている、対角線上に置いていた物が足元に転がっている…
タンスや食器棚や他の家具は倒れてはいなかったけど、元の位置からズレて動いていました。
床が濡れていたのは、前日のお風呂のお湯にが地震の揺れで浴槽から飛び出したという事が分かりました
洗濯できる位残っていたお湯が、10cmも無い位にまで減っていたのを見て、揺れの酷さを改めて実感したのです。
実家の母から電話があり、こちらは食器棚の中からこぼれ落ちた食器が割れたり、飾り棚が倒れていたりと、片付けるのに相当時間がかかりそう息子1号が怪我したら危ないから、暫くは来ないほうがいいよという連絡でした。
一段落してつけたテレビを見て言葉を失いました…
高速道路の倒壊現場は最寄り駅近くで、自転車でフツーに通っていた所。
その他にも沢山、これまで見ていた景色と一変した近所の様子が写っていたのです。
家の外に出ると、アスファルト部分から泥水がにじみ出ていました。
今はその現象が
泥状化現象
と分かっていますが、当時は分からなかったこと。
震災関連死
PTSD
なんかも当時は無かった言葉です。
結局、ガスと水道は1ヶ月以上止まったままでした。
地震発生から数日後、変わり果てた故郷の町を目の当たりにし、暫くは言葉もでなかった…
少し時間が経って
『与えられた命だもの、大切に生きていこう』
と、思ったのです
がこの時生きていた母は、予定の入院も通院も出来なくなり、2年後に亡くなり
元夫も1週間仕事で長田の方の取材をしていて、交通機関も復旧していなかったので、神戸から西宮までヒッチハイクと徒歩でドロドロになって帰ってきて半年後に東京へ転勤
思えばここから私の激動波瀾万丈の日々が始まったかもしれない
でもこんな私でも、何とかここまでこれたんです
前向きにほんの小さな事でも、日常の些細な事の中にも、
楽しい
を見つけて過ごしてたら…
大きな幸せが向こうからやってくる
だから…
絶対に大丈夫〜
何とかなるさ〜
Love&Enjoy