以前は頻繁にこのブログに投稿していて気づかなかったのか、最近はさぼり気味でそういうものだと知ったのかは知らねども、少し間を空けてアメバを開けば新たにログインせねば受け付けぬ表示。面倒くさいったらありゃしない!
滅多に上がらなくなった2階の書棚の、ある本の裏付けに記してあるアメバidを見に行くのが面倒で今日まで数週放ったらかし、、、で久々ログインしたものの書くこととて特に無し。皆さんのブログを覗いて寝るとしよう。
ひと月前ぐらいにボケの検査やら運転適性検査やらに自動車学校に行って合格だったのだけど、免許更新は又別で今日免許センターへ行って更新が出来た。
自動車学校合格時点で免許更新出来てイイんじゃね?
不肖久保、そう思った次第でありました。
先月から後期高齢者になった⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
75才になったらそうなることは知ってたけど、後期高齢者になったとはいえ何も変わらない。医者通いとかあれば別なのかもしれないけど、何十年も病院とは無縁のうえずぅーっと昔からフツーに働いている身にとっては「だからなんなの?」と役所から送られてくる後期高齢者向け知らせなんかも読んだためしがない。
そもそも形而下のことなぞどうでも良い。わたしにとっては形而上以外のことで興味を引くことは今ではほぼ無い、、、若い頃よりさらにいや増して!(待てよ、これこそが後期高齢者入りってことじゃ?)
「Rappelle-toi Barbara」rappelerは動詞の活用形、Rappelle-toiは親しい間の命令形、ただし懇願するニュアンスも入る(ここまでの出典=ChatGPT笑)とすると「思い出せバルバラ」も「おもいだしてバルバラ」もどちらでも良いように思える。片方は命令口調が強くもう片方は懇願する調べが強いだけの話である。しかしなんだか「おもいだしてバルバラ」では、1960年代末の学生運動断末魔の時代を生きざるをえなかった当時のわたしの胸に響くはずも無く、 やはり懇願したい気持ちは抑えて「思い出せバルバラ」そして「あの日ブレストはひっきりなしの雨ふりで 」 ではなく、強く「あの日ブレストはひっきりなしの雨だった」と訳してほしかった。だがしかし「あの日ブレストはひっきりなしの雨だった」という過去を断定する強い表現は三日三晩ネット内を探せど見つからなかった。
わたしの胸に強く響いて衝撃を与えたあの訳詩は一体誰のものだったのだろうか?
「バルバラ」を読んでみたくなりネット記事をあたった。出だしの「思い出せバルバラ あの日ブレストはひっきりなしの雨だった」しか覚えていないわたしは、何十年ぶりかに「バルバラ」に接し当時読んだ感触を手にした。だが待てよ、初めの一節がまるで違う。
「思い出してごらんバルバラ あの日ブレストには雨がしきりに降っていた」
