「人と人」ライバル論。
いつの日かの
ショー太郎とクボです。
今日も働いた!!
歌いたいだけ歌った!!
世は満足じゃ。
クッタクタな感じ、けっこー好き。
この疲労感、バンパなく気持ちいい ごほうび。
ふと思ったんすけど、
人間関係を難しくするのって、
意地の張り合いですよね。
でも、その意地は、自分の対話する勇気の無さから来ていることが多い。
素直に話し合えば、
分かり合えるかもしれない、
運命共同体にすらなれるかもしれないのに、
何故か、人は意地を張る。
僕も、その1人である。
恋をすると、
うまく自分を出せないときがある。
初対面の人や、気を許せてない人と話すときも、同様。
話したいのに、話したいことが見つからない。
相手に遠慮してるのか、
それとも、自分のボロを出すのが怖いのか、
ただの動揺から来るものか。
はたまた、自分がないだけか。
相手が話してくれる。
それに、若干、大げさな驚きのリアクションをとる。
気を遣いたい訳じゃないのに、
心の壁から見え隠れする本音は、壁の後ろに身を隠す。
気に入られたい欲求から来る衝動なのか。
いや、本音をぶつける自信がないだけだ。
相手が話してくれる。
なのに、嘯(うそぶ)くように、
無理して、バカにしたような言葉が口から飛び出す。
相手をイジって、笑いを取ろうとするかのよう。
意地の張り合いがはじまるか、相手が、それでも受け入れてくれるかどうかの
2択が並ぶ。
たいがいは、後者が多い。
大人の場合。
だが、しかし、
権力関係が絡んだとき、
そうともいかない場合も多い。
政治。
さまざまなタイプでのライバル。
同じ1つの何かを得ようとするものたち。
分かり合える場合も多いが、
分かり合おうとしないケースを、多々、見受ける。
信念の名のもとに、
嫉妬や負けたくない気持ちが、そうさせることがある。
では、分かり合えた者たちは、本当に分かり合えたのか。
遠慮や、何らかの考えから来るもの、Tactics(戦略)の場合もあるだろう。
どれが、正しいのか。
そもそも答えはあるのか。
僕自身は、分かり合って利用し合えることは、
とても価値のあることだと思うんです。
仮に、分かり合えなくても、
互いの評価を認め合い、共存できる関係であれれば、
なお、いい。
僕自身にも、やはり、「こいつ、すげえなあ」と思う人間は、多々います。
だけど、僕自身は、自分の道を生きます。
ライバルのすごさを目の当たりにして、自分に足りないものを確認し、
今後の貴重な材料にする。
おそらく、相手も僕と同じでしょう。
そして、語り合い、お互いの大願の成就を約束する。
仲が悪くても、同様に。
ライバルは、ずっとライバルであってほしい。
じゃなきゃ、張り合いがない。
ワガママではあるが、
張り合った楽しさの末に、大願を成就させたい。
それは、恋でも、初対面でも、同じ。
影響し合った後、お互いの幸せや成就を願う。
31にして、ようやく分かったことではありますが、
実際、多くの人の言う通りだった。
相手の幸せを願う。
自分が、最終的に、その大切なピースでなくともかまわない。
一期一会でも、何らかの形で幸せに近づく何かを。
もちろん、これから先、自分が誰かを幸せにするのは、
100%間違いのない事実ではあります。
好きならしゃあないこと。
相手の全てを自分のものにする。
しかし、やはり、相手にも、一番幸せでいられる最高の居場所を見つけてほしい。
僕自身も、最高の相手との居場所で、種々の願いを叶えるために生きる。
歌と同じ。
本意を歌う。
僕は自分の道を生く。
人として、歌い手として。
全て、手に入れる。
あなたは何を手にしましたか?
信頼できる何かに巡り会えましたか?
もう満足ですか?
まだまだ、やりたりないことばかりなはず。
明日も生きよう。