1986 | クボシュー from OurSide の「オレの飯は、まだか!?」

1986

どうも。



クボシューfromゴリラッパコロンボです。







いまだに、よみがえってくる思い出があるんです。



こんだけ生きてると、



いつの間にか、頭の中から、昔の記憶が失くなってくというか、



あの日あの場所の出来事が、だんだん思い出せなくなってるんですが、



いまだに、思い出されるのが、小学校1年のときの思い出なんです。



入学式からはじまって、



はじめての席で隣になった女の子。



いつも、いっしょにいたトモダチ。



いつも同じトモダチ2人と歩いた帰り道。



トモダチの家に遊びに行ったときに、いっつも、やさしく迎えてくれたトモダチのお母さん。



トモダチが、うちのオカンに「ゲームは1日30分までって、親に決められてる」と言ったがために、



ゲームの時間が1日30分にさせられた地獄の瞬間(←当時の見解。。。)。



泳ぐことにハマって、スイマーになることを決めた日。



映画にハマるキッカケの映画を見た、12月21日(映画のタイトルは覚えてません。。。)。



そのアニメ映画こそ、映像創りの仕事に就きたくなった大切なキッカケだったのかもしれません。



そして、クリスマスプレゼント



そのクリスマスプレゼントを持って、トモダチん家に行って、みんなで見せあいっこした、12月25日。








いろいろある中でも、



夏休みで3週間帰ったオカンの実家・山形での出来事は忘れることができません。



じいちゃんは、ちょっと怖かったけど、結局、やさしくって、



ばあちゃんは、それに輪を掛けて、やさしくて、とにかく、怒るより、やさしく注意してくれるような人で。



ちょうど、近所(その集落)の子供たちが、オレより年上の男の子が多くて、



その子らと、


いとこで同級生のヒロちゃん(ヒロヤくん)と、その妹のモコ(ともこ)が、



ナゴヤから来た都会育ちのガキのオレらを、すぐ受け入れてくれて、すっげえ仲良くしてくれて、



毎日いっしょに日が暮れるまで、



都会ではできないようなデッカい鬼ごっこや探検みたいなことをして遊んで



いとこ家族(オカンの妹家族)が、海に何度も連れて行ってくれて、泳ぎの練習もさせてくれて、



最後には、必ず、海ので、カキ氷やら、アイスやら、庄内地方名物の「玉こんにゃく」を食べて。



たくさん外で食べた日は、おばあちゃんが、必ず、あっさりそうめんや、大きな寒天を作ってくれてて、



それが、おばあちゃんの独自の味付けで、とびっきり、おいしくって。



いつの間にか、周りの人たちや、オカンといっしょの庄内弁で話すようになってた。



仕事が、いつも忙しくっていっしょに来れなかったオトウには悪かったんですが、



ホンマに楽しかったんです。







泣きそうになりながら、山形を後にして、今はもう運用されてないんですが、



「特急はくちょう号」で日本海側を通って、京都まで行って、



そこから、新幹線でナゴヤに帰るのが普通と思われるんですが、



加賀温泉(石川県)まで、



そんなオトウが、山形へ来れなかったときは、いつも迎えに来てくれてて。



おそらく、オレらではなく、オカンへの愛情表現やったんでしょうね。



それも、オカンは、おそらく気付いてへんやろなって思うくらい、めちゃくちゃ、遠まわしな。。。



いつも、やさしくて、クールで、なのに、オカンの名前すら呼ばれへん照れ屋なオトウやったんですが、



結局、どこかで、オカンに対して、ラブラブな感じでしたから。。。



ときに、子供が照れるくらいのレベルで。。。



そんな帰り道に、パーキングや、オトウがリサーチしてた、おいしい、そば屋さんなどに寄ってくれて、



おいしいものを、たくさん食べさせてくれて、



セレブっぽいものを食べるときは、しっかりテーブルマナーや、ふるまい方も、やさしく教えてくれて。



その小学校1年生のときも、同じように、帰り道の途中の岐阜県辺りで、



おいしいお肉の店で食べさせてくれて。



忘れられない1986年の夏のことです。







ホンマ、1986は、オレにとって、すっげえ、いまだに忘れられない1年で。







いつか、子供を、オレも創ります。



やっぱり、オレも一大人の男ですから。



そうなったとき、子供にも同じように楽しい思いをさせてあげたい。



オレが、オトウやオカンからもらった、たくさんの愛、そして、思い出を、



その子らにも味わわせてあげたい。



いつか、そんな相方さんができたとき、そんな夢、話したいな。



まだまだ、自分が納得いかないから、



もっと、しっかり大人の男として、1社会人として、1人の必要としてもらえるメッセンジャーとして、



認めてもらえるくらい、自分でも納得行ったとき、



そのときこそ。







1986

楽しくて楽しみたくて生きてました






そんな思い出に支えられて

皆、生きてられるんですね








きっと、あの日の自分と同じくらい、今、楽しく生きてます。



何の迷いもなく、ただ、楽しんで、



そして、前だけを見て、夢を叶えたくて、その後先が見たくて生きて。



だから、1986を、たまに思い出しながら、負けないように、楽しく幸せに生きてきます。



みなさんにも、どうか、あの頃より、楽しんで、幸せで生きててくれてたらなって、



オレ、思っちゃってますからね。







てか、メッサ、勝手に、思い出話に話を咲かせて、郷愁ブログになって、すんません!?




って、たまには、こんなんもいいですよね笑







今日のしゅ~じっく



1986

R&P



また、いつか、機会を作って、歌いたい歌です。



今、とても、涙が出そうです。