浜る。 | クボシュー from OurSide の「オレの飯は、まだか!?」

浜る。

別に、哲学者や教育評論家ではありませんが、


生涯メッセンジャーです。






ちょっとだけ考えてもらいたいことがありまして。




それが、「ハマる」ということでして。




人間、いろんなものにハマってしまいますよね。


罠(わな)だったり。


溝(みぞ)だったり。


恋の罠だったり。




でもね、よくよく考えたら、そのパワーって、メチャメチャすごくて。


そのパワーの向いてる方向が、たとえ、今は、負のイメージを持つものに対してだったとしても、


パワーの向く方向を変えてやれば、


ベクトルさえ変えてやれば、とんでもないパワーに生まれ変わる。




たとえば、ロールプレイングゲームにハマる中学生がいます。


特に、攻略本も見ず、裏技ばっか探すことにステータスを見つけたなら、余計に。


勉強もせず、遊びにも行かず、


学校から帰れば、家で、ずっと画面と、にらめっこです。


でも、「考える」という意味では、


ロールプレイングゲームは、クリアをしていく過程で、


助け合いや、困難の切り抜け方など、


人生について考える時間もあります。


人との、やりとりの仕方。


このときは、こういう言葉が求められるという処世術。


どういった話しかけ方をすればという会話術。


もちろん、マニュアルだけで、実践ではないかもしれませんが、


そういった知識があるだけで、何かをはじめる際に、武器になる。


もちろん、ロールプレイングゲームだけには限りません。


格闘ゲーム、スポーツゲームで、


駆け引きを学ぶ。


シューティングゲームで、


とっさの判断力を養い、


タイミングを学ぶ。




ドツボにハマり、外へも出ず、親に暴力をふるう高校生がいます。


「分かってくれ」と泣き叫ぶ、


「伝えたい」という思いは強く持ってるから、


ベクトルさえ変えて、数をこなして、うまく伝わる方法を身につけることにより、


さまざまの人と渡り合える人間になれる。




キャラクターカードに、ハマる小学生。


収集欲というのは、自分を豊かにしようと脳を追い込みます。


お金をほしがったり。


ステータスをほしがったり。


名誉や名声をほしがったり。


いつか、大きな人間になる可能性は、比較的高いと思われます。




もちろん、全ての例において、ハマるということは、


ベクトルの方向を、一歩、間違えば、とんでもないことにもなります。


ストーカーやったり、殺人やったり。


だけど、それは、全ての物事にひそむ可能性の、それと何も変わりはない。


どんな、いい人間だって、何かの理由で殺人者になったり、


ストーカーになったり。


全てにおいて、いい方向にも、悪い方向にも、変化する可能性は、幾分かは残るのです。


たとえ、1%の可能性でも、


その1%の可能性自体は、100%残る。


その幾分か残る可能性に、賭けてみる。


だから、特に、お父さん、お母さんたちには、


簡単に、あきらめないでいてほしいんです。


さんざん賭けつくして、もう無理だと、心底、思うまで、


あきらめないでほしいんです。


オレ自身は、親に、どう育てられたのか、いまだに分かりません。


ただ、少なくとも、


親父は、オレに対して、いまだに説教を垂れます。


オカンは、いまだに、オレの心配をして、1週間に1回は、電話をかけてきます。


期待してくれとも、心配してくれとも言ったことはありませんが、


親に見捨てられることほど、


痛いことは無いように、オレ自身は思います。


一番、自分のことを見てくれるはずの人間に見捨てられる。


上から下への血のつながり。


「自分という存在」を「産み出した存在」。


そういった植えつけられた理屈的にも、


配偶者と、


少し、意味合いが異なります。


2001年、池田小学校で殺人を犯した宅間容疑者について、


実父が、


インタビューにて、


「あんな子供のことは知らない」的な、


「理解できない」的な発言をされてました。


それについて、宅間容疑者は、どう思ったか、


そもそも、その発言を耳にしたのかどうかも分かりませんが、


少なくとも、オレ自身は、


「親として、子供の責任を取れ」という思いの前に、


「オレが親に、こんなこと言われたら、どうだろう」と考え、


若干、ひきました。


もしかしたら、これに関しては、「上から下への血のつながり」だけでなく、


兄弟姉妹でも同じような信頼が生まれるかもしれません。


さまざまな事件のニュースの際、


インタビューで、モザイクをかけられた実の兄弟姉妹が、


犯人である兄弟姉妹のことを、「あんなヤツ、知らない」的な発言をしてます。


もちろん、マスコミを遠ざけるための発言かもしれませんが、


その言葉の中には、少しの愛もない。


愛を求めるべきでないのかもしれませんが。。。


映画「ナイン・ソウルズ」では、


松田龍平演じる兄が殺人を犯し、


瑛太演じる弟は、テレビにて、「兄を死刑にしろ」と発言し、


兄は弟を襲った。


「ナイン・ソウルズ」に関しても、親子ではなく、


兄弟で「上から下への血のつながり」ではありませんが、


「唯一」的に信頼してた、やさしい弟が変わってしまい、


そんな発言を聴いたとき、あなたなら、どう思われますか?




話が、若干、熱苦しく、それてしまいましたが、


何かにハマってる子供のことを、


今は何も興味を示さず、垂れ流しで生きてるような子供を、


あきらめないであげてほしいんです。


パワーの向くベクトルが変われば、


何かに興味を示したならば、


新しい何かを生み出すかもしれないんですから。




やり直しがきかないことも、世の中にはあります。


先ほどのような無差別殺人なら、


犯人はかわろうとせず、異例のスピードで死刑は執行され、


殺された子供たちの魂は、もう、戻る体も、この世にはない。


だけど、何かの理由で犯した「あやまち」なら、


全ての人に歓迎はされなくても、


いつか出所し、そこで、懸命に生きることを、誰かが望んでくれるはず。


オウム真理教の娘たちも、誰かが、きっと求めてくれるはず。


だから、我が子を、なかったことになんてしないでくださいね。


1度、結婚直前にミスって、今も、カノジョさんすらいませんが、


こんなオレだって、いつか、いや、近いうちに、必ず、子供を持ちます。


そのとき、初めて、親というものを経験します。


オレが、親になったとき、どう子供と接するのか、全く見当がつきません。


「甘やかすだろう」と思われることは多いですが、それは、あくまで、上辺のオレのイメージです。


一番、大事なときには、物怖じ(ものおじ)1つせず、


バンドや、近しいツレ、上司にでも、はっきり物言い発言をするのが、ホンマのオレなんです。


カミングアウトをしてよかったことなんだろうか。。。


とにかく、あまり、いい親を、つとめることはできないかもしれません。


だけど、やっぱり、自分の子供のことを無かったことになんてしたくない。


向き合うのが、億劫(おっくう)になる時はあっても、


向き合うべきときには、しっかり向き合って、


正すべきところは正して、夢へのヒントも手渡して、そんな父親でいたい。




未来の子供たちへ



何かにハマったら、

一度、他のハマれるものを

探してみて。その先にこそ

明るい未来が待つかも





きっと、そう。


オレ、日付は変わり、今日、


子供たちのためにも、親となる方々へ、


必要メッセージを全力で伝えます。


そして、全力で笑かします。


大人ぶって、斜に構えて、すかしてみたりもしましたが、


やっぱ、オレは、全力が、一番自分に合っていると思うんです。


多少の頭を付けた全力の、伝えるすごさを、目の当たりにしてもらいますんで。


そして、考えてもらいます。



2010年 6月29日(火) 18:00スタート

池袋RUIDO(ルイード)K3

前売り2,300円 + ドリンク600円

ゴリラッパコロンボは、3番手で、19時出演でございます!!


http://www.ruido.org/k3/ ← 地図は、コチラから!!



本当に楽しみにしといたってくださいね!!





支離滅裂なところもあったと思いますが、


どうしても、伝えたかったんで、記しました。


ご意見、ご批判ございましたら、何なりと、お申しつけください。





今日のしゅ~じっく


ショートフィルム

R&P


心の中、いつも待っていた奇跡は、いつしか、起こっている。


息をしてる、この体は、まだ、つかもうとしている。


僕の澄んだ迷いだらけの瞳は、幸せ、いつでも探している。


目の前を通り過ぎる人にも、幸せが来ますよう、


幸せでいますよう、その夢が叶うよう。


(2002、作詞・曲:久保田修司)