刺すような痛み。突き刺さる想い。
オレ、まだまだ、生きてます。
久保不祥事です。
なんとか、生きてます。。。
この何日か、精神的に多少の辛い想いをしても、
必ず、ツレの誰かが助けてくれて。
それで、何とか、生きながらえとります。
ものすげえ、ありがたい限りです。
マジ、おおげさっすけど、
生きてる意味を、彼らが、オレにくれるんです。
それが、すっげえ、うれしくて、うれしくて。
余計に、幸せについて考えてもらいたくって、伝えたくなってしまう今日この頃です。
明日も、おそらく、どっかの町で、オレ、歌ってきます。
なるべく、会社帰りのオレと同い年前後のサラリーマンの方が多いところ探して。
男にとって、
一番、人生のポジション取りに悩む時期が25~35歳くらいやと思うんです。
結婚という節目が、目の前にあったり、
会社員としても、少し社会に慣れてきて、ここから、どうすべきか悩んだり。
老若男女、全世代の方に、聴いていただいて考えていただきたいんですが、
オレにとって、特に伝えたいのが、先に挙げた世代の男の方々なんです。
オレにも、そんな時期ありましたし、今も悩んでます。
だからこそ、いっしょに考えたいんです。
何が、自分にとって、幸せなのか。
別に、応援歌なんて持ってませんし、
これからも、作るかどうか分かりません。
でも、メロやリズムを楽しんでもらいながら、伝えて、
考えてもらえたら、何かが、その人の中で変わるはずなんです。
それは、まるで、
いい映画を見た後の すがすがしさにも似たもの。
そんなキッカケがあったとき、
「オレも、自分にとって、ええ生き方せなあかんな!!」って、
心の中、何か変化が起こること、ありますよね。
オレは、まだ、その可能性、自分だって、そういった心を動かすことができる可能性を信じてます。
だから、アホみたく、会社辞めて、全部捨てて、東京に歌いに来ました。
捨てられへんかったのは、くすぶらせ続けた叶えたい想いだけでした。
伝えへんかったら、オレにとって生きる意味はない。
だいぶん言いすぎだと分かってますが、それくらいの覚悟でした。
今も変わらない。
一時期、ホンマ折れそうにもなりましたが、それでも、変わることはありませんでした。
明日も、歌います。
もう恥も外聞も関係ありません。
ライブハウスだけちゃうくて、
昔みたく、ガムシャラに、ギター1本抱えて、街に繰り出し、
路上で、誰も聴いてもらわれへんくても、
歌わなければ、オレの気持ちが おさまれへんくて。
どうしても、希望を叶えたくって。
伝えられなきゃ、くすぶってた時代と、何も変われへん。
今のオレは、それでも、伝えられる自信が付いてきてます。
わずかばかりですが、無いより、よっぽどマシです。
ぜってえ、考えてもらったんねん。
書を捨てよ、街へ出よう。
てか、暗すぎて、ホンマにすみません!!
「同い年」という意味で、近畿地方限定かもしれませんが、
「同い(おない)」という言葉を使います。
こっちで言う「タメ」という言葉と同じ意味であります。
標準語・丁寧な人「君、同い年だったんだね!!」
↓ ↓
関西・若者「自分、同いやってんなぁ!!」=標準語・若者「君、タメだったんだね!!」
という具合に、使います。
上京後すぐ、同い年であることが分かった方に、
その「同い(おない)」という言葉を使ったとき、
ドン引きされたことがありました。。。
完全に、「おない」を「オナニ○ー」と聴き間違えたのか。。。
とにかく、卑猥な言葉を、突発的に吐き出した後のリアクションそのものでした。。。
言葉というものは、ほんに難しいものです。
気を付けなかん言葉が、たくさん、あります。
オレも気をつけます。。。
よっしゃ、歌いてえっす!!
突き刺さるような熱い想い
逃げずに山ほど抱え込んで
いくらでも歌い吐き出したい
もう、夢から逃げない。
何度も、この日記で、同じこと言わせてもらってますが、
何度でも、言わせてください。
ホンマに、その覚悟、分かっていただきたいんです。
口だけじゃ、何にも伝わらないかもしれません。
でも、オレは、その言葉で、ぜってえ、夢を叶えてみせます。
考えてもらいたくて、生きてるだけの男。
おおげさっすけど、オレ、やっぱ、それが、一番、生きるためのパワーなんす。
もちろん、ツレらも、オレの生きるパワーなんすけどね。
だから、そんなツレたちにも、幸せについて考えてもらうために、
いくらでも、伝えたい。
でも、まずは、今、この日記を読んでくれた、あなたに伝えたい。
今日のしゅ~じっく
「Forget-me-not」
尾崎豊
忘れたくないこと。
愛する人は、愛してる人であるということ。
願いは、叶えたくて、持ってしまうものだということ。
過去の幸せが過去のものであること。
過去の幸せを塗りつぶして、幸せになってもいいということ。
幸せは、神頼みするよりも、待ってるよりも、動いた方が、つかめる可能性が高いということ。
そして、何よりも、今、この現実の中、自分は生きてるということ。
明日、死ぬかもしれないけど、80年先だって生きてるかもしれないということ。