最果てのないものについて。 | クボシュー from OurSide の「オレの飯は、まだか!?」

最果てのないものについて。


こうして生きてられるだけで幸せで、もっともっと求めて。


シューほっしゅーです。





。。。




すんません。。。




おもんなくて、すんません。。。




でも、マジ、幸せって感じるもんであって、求めるもんであってって、


すっげえ思うんす。


そうだから、もっともっと生きたくなって、


自然と生きる理由っつうか、もっともっと生きたくなる気持ちが生まれて。


ありきたりかもしれませんが、メッサそう思えてしまうんです。


歌で書いてることも同じですが、


きっと、オレら、幸せを感じれば感じるほど、生きたくなって。


何の幸せを感じてなかったら、なぜ生きてるのか迷って死を選ぶ人さえいて。


だけど、まだまだ幸せを感じ足りてない人は、


病気や問題などで、自分の生きられる時間が限られてしまって、


もう、これ以上がないと感じてしまったら、ようやく生きたくなって、


その病気などが治ったり、解決したりした後、ようやく生きる意味を感じて、


その後を、幸せを探しながら、感じながら生きてく。


そう考えると、幸せを感じるってことは、当たり前のようで、


本当は難しいことなのかもしれない。


しかも、それは、今、この現代に限ったことではないと思うんです。


昔だって、そうだったでしょう。


昔だって、しがらみや、同じ毎日の繰り返しはありました。


しがらみで言えば、「村八分(むらはちぶ)」と言われる「のけもの」扱いされることもありました。


今の言葉で言えば、「完全に無視」「シカト」され、仲間とは思ってもらわれへんくなって。


オレが、そんな状態にされたら、なかなか幸せを感じられません。


繰り返しと言う意味では、今のように季節に逆らえず、


農作業など、やらなければならない時期にやっては、毎日、繰り返しで、


どうやって幸せを感じたのか。


オレ個人としては、農作業をすることが好きで、


自分の創ったものを食べてもらえたら、うれしいから、幸せ感じられます。


もちろん、生活のためではありませんでしたし、


長く繰り返しで作業したことはありませんので、続くと飽きてしまうのかもしれませんが。


「生きるためにやる」となると、オレだって、そうなってしまうんでしょうか。




でもね、




それでも、考え方次第で、

いくらでも幸せになれると思うんです。




幸せについて少しだけ考えることを、やめなければ。




すこしでいいんです。


毎日、少しずつでいいんです。


「今日は、辛いことばっかやったけど、この瞬間は幸せやった。」


「明日は、どんなことが待ってんねやろ。どんなこと、したろうかな。」


オレ、それだけで、全然、ちがった毎日を送れると信じて、


実際、生きてます。


でも、オレだけじゃなくて、誰でもできることなのに、しようとしない人が多いのも現実です。


今だって、「おまえは夢があるから、幸せなだけや」って思われてるかもしれません。


でも、ちがうんです。


誰だって、夢を持っていいのなら、誰にでも、夢と幸せを結びつけることが可能ですし、


何よりも、後にも書きますが、比べるだけじゃ、幸せは、なかなか、やってこないんです。




幸せを感じさせる、もっと簡単な方法として、


さっきも言いましたが、「誰かと比べる」という方法があります。


親御さんは、よく言わはることかもしれませんが、


「貧しい国では、かわいそうな子たちばかりなのに、アンタは何やってんねん。。。」


もちろん、人と比べることで、自分は幸せだと感じることもできます。


だけど、それじゃ、ホンマに貧しい国の人が幸せ感じることなく、


ただただ、死んでくという誤った認識を確認させるだけで、


アンタは幸せなんだという伝えたい本心は、なかなかに伝わりづらい。。。


「アンタが必要だから、もっと幸せになってほしいから、がんばってほしい」


と伝えるだけでも、分かってもらうには、まだまだ足りないかもしれません。


自分自身に「○○と比べれば幸せだ」と思わせるのでさえも、


そう考えると、難しいことに思えるかもしれません。


生きる理由を教えてこなかった、オレら、大人のミスかもしれませんが。


もちろん、そんな中でも、いつでも幸せを求めまくるヤツもいますし、


夢に向かって突っ走るヤツもいます。


だから、逆に、教えられなくて、生きる理由を自分で見つけたヤツは強いような気がするんです。


でも、それでは、全員では、幸せになれない。。。


夢をつかんで、金をかせいだヤツだけを、「幸せな人間」とし、


いい学校に行けず、能力もなく、給料も安いヤツを「不幸な人間」とし。


それじゃあ、生きる理由が見つからない。。。


子供を生きがいにするのもいいですが、


「不幸な人間」を親に持った子供に対し、


親は、「この子を何としても幸せな人間に!!」となってしまう確率は決して低くないと思うんです。


「幸せな人間」を親に持った子だって、おそらく、同じように育てられることでしょう。


もしかしたら、親にコンプレックスさえ抱きかねない。。。


そしたら、変わらない毎日の繰り返し。。。


今も昔も変わらない。。。




そこに、何とか、幸せを感じることが必要なんだと思うんです。


その方法に関する提案を伝えたくて、考えてもらいたくて、


オレら、ゴリラッパコロンボ、4名、歌うんです。


ついに、ゴリラッパコロンボ、4人そろいました。


幸せについて、考えてもらうため、活動開始します。




誰かの願いが叶う頃

他の子は泣いてるなんて。。

オレらで変えてきませんか





1人の幸せの分量は平等とか、オレは信じてへんのです。


いろんな人が、何に幸せを感じるかによっては、平等にもなるのかもしれませんが、


求めたヤツほど、幸せになると思うんです。


そのための苦労は、他の人にとっては不幸でも、本人にとっては不幸とちゃうはずなんです。


だから、日々の生活に、少しだけ価値を持たせてやって、


少しの幸せを感じ続けて生きたい。


オレは、常日頃から、そう想っとります。


是が非でも、みなさんも、そう想って、いっしょに生きてほしいと、切に願ってます。


1人で独り占めも悪くないかもしれませんが、


オレは、1人じゃ幸せになりたくない。。。


それは、きっと、オレも、あなたも、みんな、いっしょだと信じてます。


てか、オレなんかより、みなさんの方が幸せについて知ってはりますよね。。。


生意気な発言を記しまして、ホンマに、すみませんでした。






今日のしゅ~じっく


誰かの願いが叶うころ

宇多田ヒカル


幸せについて考えさせてくれる歌が、


テレビから流れてきました。


あれから、5年。


オレ、ようやく、少しだけ自分の幸せがどんなものなのか、


分かるようになった気がします。