初めまして。
京都先端科学大学サッカー部4回生の石川丈馬(いしかわじょうま)です。
単刀直入にブログって難しいですね。
過去に1度完成をしたんですが、没にしました。
理由は、僕に「21番」をくれた弊部OB佐野太陽への感謝をブログを通して書いたら、ラブレターになってしまったからです。
「また一緒にナン食べ放題行きましょう。連絡待ってます。次は松井さんも。」
そんな余談はさておき、僕の事を書いていきます。
小学生の頃にサッカーを始めました。
地元の少年団に入る?入らない?で迷った末、優柔不断な僕はタイミングを失いスクールで活動してました。
やはり人生はいつもQ&A。
そして、選択の連続かつタイミングですね。
中学生の頃はクラブチームに所属をし活動していました。
あの3年間は僕の「原点」であり、「人生の財産」です。
入団当初から卒団までサッカーの楽しさや面白さに加え難しい事や苦しい事を学ばせてくれたからです。
高校生の頃は福知山成美高校に進学しました。
僕の恩師である今川先生の教え子(通称今川チルドレン)として今川魂を背負い、もがき続けた3年間だったと思います。
しかし、そんな始まりは怪我でした。
高校入学1ヶ月目で膝の怪我をしました。
膝が伸び切らず、曲がり切らない絶妙な状態で生活をしていました。
特に寮の階段の登り降りは地獄でした。
それも今では良い経験だったと思えます。
あの3年間、怪我を含め沢山の経験をしました。その中でも厳選して2つ紹介します。
1つ目は、寮の風呂でのぼせて頭を打ち救急車で病院へ搬送された後に脳震盪と左眉下を縫った事です。その経験から「適度な水分補給の大切さ」を学びました。
頭を打ち意識が朦朧とする中、声を掛け続けてくれた同じ寮の102号室の2人は、命の恩人です。ありがとう。また川崎市に遊びに行きます。
2つ目は、高校3年生の頃、足首の怪我でボール拾いをしていた時の出来事です。
ボール拾い時に、1つ下の熊澤陽輝(現弊部副将)が綺麗に並べていたボールに向かって、自分が拾ったボールを投げ、バラバラにし、怒らせた事もありました。
なぜ投げたかは覚えていません。
その時に「怒らせる相手を間違えてはいけない。」と学びました。
そんな熊澤とはもう5.6年の関係です。感慨深いですね。
高校生の夏休み、朝から2人で早起きをしてラジオ体操をしていた時期もありました。
ラジオ体操第3から組体操が始まったので、辞めました。
またいつかリベンジしたいですね。
加えて鬼塚とは既に7年目。
時の流れは怖いですね。
高校から常にそばにいる存在だったので、扱いを雑にしていたかもしれません。いや、していました。
初心を忘れない事の大切さを再度認識する事ができた気がします。
余談ですが、鬼との1番の思い出は高校時代に僕の部屋で袋麺を鍋につこっんで一緒にラーメンを食べたことです。
ちなみに味はサッポロ一番の塩ラーメンでした。
また食べましょう。奢ってください鬼。
以上の厳選した内容も含め、沢山の事を学ばせてもらった3年間でした。
何よりも「怪我はしたらダメだな。」と学びました。
「もう怪我なんてしない」と意志を持って始めた大学サッカー。
残念ながら怪我からは逃げられませんでした。
おまけに「yo-yo」にも出会いました。
色々あったけど、気づけば4回生で22歳。
憧れの先輩から受け継いだ「21番」を着てプレーできるのも残り数ヶ月になりました。
残り数ヶ月、生きてる証をKUASに打ち付け、貧弱な魂で悪あがきしながら一歩ずつ進んでいきます。
それでは聴いてくださいMr.Childrenで「I'll be」
京都先端科学大学サッカー部
石川丈馬
