「白人崇拝はタイも日本も同じ」という論(タイヲタ左派の主張)について | Kuantanのブログ

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前回このエントリーで、2ちゃんなどに巣くうタイヲタ(タイ偏愛者)にはウヨ(頭の弱い右翼)が多いということを書きましたが、もちろんタイヲタには左派もたくさんいます。つまり「反日」系のタイヲタです。実はこちらのほうが狡猾でたちが悪いのです。

私は便宜上、後者を「タイヲタ左派」、前者を「タイヲタ右派」と呼びたいと思います。

(いまマレーシアのこのネット屋に、日本語半分シナ語半分の歌「支那の夜」がかかっている。店番のお姉さんは中国系。ところがウィンドウズIMEでは「支那」の変換すらできない。この姉さんはよく五輪真弓の歌(日本語)をかけている)。

「タイヲタ右派」というのは、タイにはほとんど行ったことがないが、「タイ王室と皇室との友好関係」を賛美するような話を読んだり聞いたりして、素朴に「タイは親日」という幻想を抱くようになり、それにしがみついている人たち。あるいは、中国朝鮮に対する嫌悪と、もともと持っていた田舎者風のアジア幻想との板ばさみから、タイに幻想の活路を求め、タイは親日的な地上の楽園に違いない思いこんでいる人たち。いずれにしても彼らは「タイは親日」「タイを批判するのは朝鮮人」というレッテル貼りを繰り返すしか能のない人たちである。

これに対して、「タイヲタ左派」は、タイ批判者を叩くためならときにはタイヲタ右派の「朝鮮人認定」さえ利用するニヒリストであるが、基本的には「反日」から出発している。彼らは日本嫌いが動機で外国に逃げたのだが、タイ(のシステム)に(精神的な)安住の地を求めてタイに同化しようとし、タイを賛美する。

したがって彼らのタイ賛美の基本は「日本よりはずっとマシだ」「日本よりは良い」というところにある。

タイヲタたちは、タイに対する批判に過敏に反応するのが特徴である。

右派左派を問わず、ようやく見つけた彼らの地上の楽園、「日本の真の友」あるいは「安住の地」であるタイが批判に晒されることが耐えられないようである。

その証拠に、タイ関係のブログや掲示板は必ず荒れる。他の国関係のサイトや掲示板が荒れることはあまりないと思う。とくにマレーシアなど荒れようがない。

その結果、タイ関係ブログではコメントをまったく受け付けていなかったり、ブログ主が荒らしコメントについて再三警告しなければならなかったりすることが多いようである。

タイヲタ左派による、「タイ批判に対する反論」はおよそ次のようなものである。なおここではタイ批判およびそれに対するタイヲタの反論は、つぎの二つに限定する。

①「タイの白人崇拝に対する批判」に対するタイヲタ左派の「反論」

②「タイは買春支援国家であるという批判、すなわち売春ツーリズムを放任助長しているという批判」にたいするタイヲタ左派の「反論」 

①について。

「タイは白人崇拝がひどい」という誰もがタイで感じるような感想に対して彼らは過敏に反応するのだが、よくある反論は、「それは日本も同じだ」というもの。

この点について言えば、確かに日本に白人崇拝がないとは言えない。場所によってはかなりのものだろう。

しかし、タイの場合は、全国土に渡って白人崇拝が「作法」ないし「制度」として定着しているのである。

また、日本人の場合、白人崇拝の念を持っていたとしても、それをあからさまに表現するということは、普通の場所では少ない。肉○○はいざ知らず、公共の場や接客の場面では少ないと思う。

日本人には「人種差別は良くないこと」という「タテマエ」がある。したがって、あえて白人崇拝を表現することには躊躇と「うしろめたさ」がともなうのが普通だと思う。

ところが、タイ人の場合には、このような躊躇や「うしろろめたさ」は一切ない。

彼らは白人崇拝を公共の場所であからさまに表現することに何の恥らいもうしろめたさも感じない。

むしろ、自らの白人崇拝をあえてあからさまに表現することによって、白人客へのホスピタリティの表現としようとするのがタイ人である。

その表現方法には、「白人客を上げる」という以外に、その場にいる「有色人種をことさら下げる」という方法がある。「差別の表現」によって一方を満足させるというのは、典型的なタイ的ホスピタリティの表現である。

つまり、タイには「人種差別はよくないこと」という思想が、「タテマエ」としてすら存在しないのである。

日本の銀行や旅行代理店の窓口で、アジア系外国人を受け付けているときに、白人客が入ってきたからといってアジア系外国人を押しやって公然と白人を先に受け付けるというようなことがありうるだろうかアジア系外国人が先に並んでいるところに後から来た白人の優先受付を認めるようなことがあるだろうか

ありえないだろう。しかしタイではこれが普通なのである。

ホテルでもレストランでも、ちゃんとした身なりの有色人種外国人客にはむっつりと接客し、汚い半ズボン白人客には最高の笑顔で媚びへつらうというようなことが、日本にあるだろうか

よっぽど特殊な場所でないかぎりないだろう。しかしタイではこれが基本なのである。

すなわち、日本に白人崇拝があるとしても、それはタイ人の白人崇拝とは量質ともに比較にならないものである。

また別の反論として、「タイで差別を感じるのはあなた自身がタイ人を差別しているからだ」「日本人が東南アジアを差別しているからだ」という脈絡のよくわからないものもある。これは2,3年前、2ch「海外旅行板」でよく見かけたものである。

「タイでの差別を感じるとしたら日本人がタイ人や東南アジアを差別しているからだ」という反論の意味は、「日本人が(アジア人並みでなく)白人並みに扱われようとしていることがアジア人としての分を忘れて東南アジアを見下している証拠だ」、ということだろうか。

これは案外、タイ人の率直な感情に近いのかもしれない。かつて東南アジアで反日暴動が頻発したときの感情的な理由のひとつは、「日本人は有色人種のクセに白人のような生活をしている」というものだった。

言うまでもなくこれは、白人の作り上げた枠組にすっぽりはまりこんだ奴隷根性というほかない。

この考え方は、自分たちが白人より絶対的に「下」であるという前提をおいた上で、日本人を自分たちレベルに「引き下げ」たいという卑屈な感情である。

このような感情は、「白人に支配されるのならまだしも日本人に支配されるのは我慢がならない」という中国韓国の感情にも類似している。

また、このような形で「日本人の(東南アジアetc)差別」を批判する人は、具体的な行為を批判するのでなく、日本人の「意識」や「念」を指摘して批判するのである。それには根拠といえるものはほとんどない。「白人コンプレックス論」と同じく、「お前はそう感じているはずだ」とただ決め付けているだけである。その根拠はおそらく、その論者の中にこそそういう意識があるということだけだろう。

②については、「売春、風俗産業は日本のほうがタイよりひどいじゃないか」、というのがタイヲタからの典型的な反論である。

タイ人は貧しいから売春するのだが日本人は贅沢のために売春するとか、少女売春は日本のほうがひどいなどという、タイ側に立った日本批判もある。

しかしこれまでも書いてきたように、タイは決して貧しい国とはいえない。昭和初期に日本の農村で娘の身売りが続出したときのような切迫した飢餓がある国ではない。

タイでは、貧困というよりも都会との貧富の差をバネに、農山村から(あるいは少数民族の村や国境のむこうから)親が娘を売り飛ばすような構造を温存助長して来た。この関係は、タイの主要産業のひとつである観光業の一環に組み込まれ再生産されているのである。

また、日本も少女売春は盛んというが、12歳の娘が売春するとしても、ネットの出会い系サイトで見つけたオヤジにお小遣いをもらって・・・・、というのと、高床式の家に住んでいる娘が親に行けといわれて行くのとではまったく意味が違うだろう。後者については、社会、国家の直接の責任が問われなければならない。

また、タイで買春しているのは日本人ばかりで、白人がタイ女を連れているのは「自由恋愛だ」という荒唐無稽な反論もまだある。これは日本のマスメディアの通説でもあり、また白人世界もこの立場に依拠して自己の倫理性や政治的な正しさ、歴史解釈の正当性などを主張しているのである。

(関係ないが、Lonely Planetの"Thailand beach and islands"は、タイの海でウミガメを乱獲している一番のculpritsは日本人で、彼らはウミガメのすべてを利用するなどと書いていた(2,3年前に見たもので今もそう書いているかどうかはわからない)。「すべてを利用する」というのはたぶん鯨と混同しているのだろう。白人の日本関係言論などはこの程度のもの、つまりほとんどデタラメである)。