だからこういう風に振る舞いたかったと汗をかき安堵する | 愚奏譜

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ワタシ、かなでの備忘録みたいなもの。
割と内向き・オタクなハナシが多くなりそうです。

Eテレで『キングダム』を語る番組をやっていた。

社員に読むことを義務化した経営者の方もいたけど、効能の一つである「ビジョンの共有」を見ると、「そもそも共有『言語(思い出とか過去)』のない集団というのは、これからの時代では更に増えてくるんじゃないのか?」と年寄りは心配になる。
「まるで○○のよう」という比喩を共有化できないのは、大きな仕事をしようとする小集団には致命的。
「函谷関」なんて名前は、最近だと『キングダム』のクライマックスのイメージなのかしら?『三国志』各種とか、項羽と劉邦辺りのエピソードの方が、本邦に根付いていると思ってたけど、あくまで物好きだけの教養か。

作品を改めて考えると、登場人物も、嬴(漢字が分からないな)政、呂不韋、蒙恬、趙高、廉頗そして李牧、少し広げて項翼ぐらいしか、読前のワタシは名前を知らなかったな。
どこまで史書掲載キャラなのかしらね?
連載開始から随分経つから、案外これで研究に入って、逆に作品設定を破壊しちゃうような発見をする学者なんか出ちゃいそうだな。司馬遼太郎作品みたく。

さて「秦の始皇帝」
むかし、ジャッキーチェンの映画で戦国時代の兵士を描いたのがあったけど、その最後に唐突に始皇帝による統一を明示してたのがあった。陳舜臣(故人)によると、中国が国内を一つにしたいときはパターン的に始皇帝の評価が高騰するそうな。
そもそもの評価でも、漢(に寄生した儒)によるネガティブキャンペーンでのバイアスが指摘されてるから、結果逆算の「苛政→反乱→滅亡」から、「始皇帝=暴君→焚書坑儒」みたいな連想は今時流行らない。
とはいえ、始皇帝が持ち上げられるのは、やはりドキドキする。
そんな物差で見ると、『キングダム』の大ヒットもドキドキするようになる。
どうにも、ワタシの始皇帝イメージは『赤龍王』の「煮殺せい」から始まってるから締まらない。

そういえば『キングダム』は、李牧と決着したらどうするんだろ?
続けるのかな?
李信らが青年じゃなくなっても、今のテンションで続けるのか?
今のまんまのテンションだと、荊軻とスーパーなバトルをしちゃいそう。
それは少し心配