『いだてん~東京オリムピック噺』第37回「最後の晩餐」を見る | 愚奏譜

愚奏譜

ワタシ、かなでの備忘録みたいなもの。
割と内向き・オタクなハナシが多くなりそうです。

古今亭志ん生は読売巨人軍のパーティーに呼ばれたから早引け。
長嶋とか川上が活躍してた頃。

長嶋が生まれた頃
昭和12年1937年
河野一郎がオリンピック不要論を国会で訴える。
日中戦争が始まったし。

オリンピック東京大会 組織委員会
会場からして紛糾。
副島通正は神宮周りに施設を集中すればと考えてるけど、嘉納治五郎らは規模が小さいから否定する。
なんか治五郎が変。

河野は田畑政治を相手に治五郎を詰る。
田畑は治五郎を擁護するけど歯切れが悪い。
聖火リレーの準備と言えばで、韋駄天 金栗四三登場。

基本的にクズな金栗は、ようやく家族を東京に呼び寄せる。
そこでは支那事変の祝賀行進。
まだめでたい雰囲気。


平沢和重は第一話以来か


黒坂辛作の妻ちょうが亡くなる。
金栗家が世話になってたから。
スヤもりくに会う。懐かしい。
スヤは小松勝がりくに惚れてるのに気付く。
指摘されて四三は驚くけど、基本的に四三はバカだから。
その後、四三は小松への目が厳しくなる。どの面下げてだけど。

戦局穏やかならず

副島、独断で近衛文麿首相に五輪の危機を訴える。
大会返上というカードも見せる。

治五郎は激怒。
しかし副島は動じない。日本オリンピックの未来のため。返上もやむ無し。
治五郎は収まらない。何がなんでもオリンピックを!

水泳の様子を見に来た田畑。
そしたら選手たちから競技への疑問の声。出征を横目に練習はツラい。そもそも、こんな調子で東京にオリンピックは来るのか?
田畑は強がる…

河野のオリンピック返上論は益々語気が強まる

四三は朝日新聞に乗り込んでくる。相変わらずバカ。河野と話がしたいらしい。緒方竹虎が説明しても聞かない。そもそも河野は今は国会議員なのに。
四三は河野の陸上(箱根駅伝とか)での活躍を語ったりして憤る。そういえば河野は四三の弟子。
あげく、田畑に東京オリンピック開催を問う。
やはり田畑は強がる。絶対やる。
でも、戦争とオリンピックに関しては四三の方がよく分かってる。彼は既に経験している。
田畑も同意。
戦争とオリンピック、つまり矛盾。
河野の言う通りだ、と。
そこで四三は畳み掛ける。選手の気持ちを考えろ的に。田畑ならば分かるだろ?
小松勝を走らせたい、のは矛盾か?
矛盾だ。
でもスポーツに矛盾は付き物。
なぜ走る?なぜ泳ぐ?
誰も答えられない。
でもこれしかない!

小松勝、なんかの大会で見事に勝利を収める。
金栗一家も大喜び。

練習を見る田畑の顔は晴れない。

南京占領

田畑、決意を決めるために妻菊枝に問う。
アレがナニでナニでアレで…
菊枝、賛同して出す料理はキュウリ尽くし。
河童のまーちゃんに戻れ。

治五郎、カイロでのIOC総会出席を決める。

神宮で治五郎に副島倒れるを伝える田畑。
治五郎は意気込みを語る。手ぶらだけど。
そして田畑を誘う。
田畑は返上を主張。土下座までして懇願する。
こんな国でオリンピックやったらオリンピックに失礼。
今さら返上は無理?でも治五郎ならできる。
しかし治五郎は、オリンピックをやる。
「今の日本は あなたが世界に見せたい日本ですか?」
そんな嘉納治五郎は見たくない。
いま引き下がれば戦後にまたチャンスがある!
田畑は去る。

走る四三

IOCカイロ総会開始
治五郎は四面楚歌で針の筵でボコボコ。御年77歳。
治五郎が言えるのは、Trust MeとかBelieveMeとか。でも彼が言うと重い。
順道制勝。逆らわずして勝つ。
ラトゥールは苦笑。

昭和13年1938年
東京開催承認

田畑、河野に詰られたときを回想
田畑だって五・一五ぐらいから違和感感じまくり。スポーツも政治も一緒。もう日本は軍事国家だ。
田畑の本心は、お国のためのオリンピックなど俺はいらん!だから治五郎にも返上を願った。でも治五郎は手ぶらなのにオリンピックを持って帰ってきた。
もうやるしかない。
「どうする?助けてくれよ河野!」

カナダ バンクーバー
船待ちの治五郎は、外交官 平沢和重と出会う。
のちのミュンヘン総会で演説することになる平沢。治五郎を看取った男…てことは…

健啖家な治五郎。
平沢はあんまり食べない。
治五郎の元気の秘密は精力善用。してれば疲れない。
などなど船中で交流を深める治五郎と平沢。

始めは元気だった治五郎も、嵐以降風邪引いて調子を崩す。風邪が治まってもいまいち。
久々にみんなの前に現れた治五郎は、「人生で一番面白かったこと」を話そうと提案。
みんな盛り上がって色々話す。
平沢は…ネタがイマイチで治五郎はスルー。
では治五郎は?
羽田の予選会。いだてんとの出会い。でも一番ではない。
ストックホルム大会への参加。いやでも一番ではない。
ロサンゼルス大会。田畑が凄い。成績も凄い。移民への勇気づけも凄い。いやいや、これも一番ではない。
他にあるはず。
平沢は、一番は東京オリンピック、と指摘。
治五郎、大いに納得。そしてテンションも上がるが、咳もどんどん増える。
そしてオリンピックへの意気込みも語る。
そして部屋に戻る治五郎。
見送る平沢。
辛そうな治五郎。

四三の靴紐が切れる。

昭和13年5月4日
嘉納治五郎、太平洋沖で死去。
享年七十七

オリムピック噺もしめやか

駆け付けた田畑。
副島を始め他は既に来ている。
悲しむ田畑に平沢が挨拶。そして治五郎の遺品を田畑に。
治五郎が田畑に託したのはストップウォッチ。
治五郎は病床で頼んだらしい。
このストップウォッチは動いている。
治五郎の棺に被せられる五輪旗。

古今亭志ん生倒れる!脳出血!


次回は太平洋戦争勃発。そして学徒出征。


紀行はやはりの嘉納治五郎。
カイロ総会帰りの映像はまさかのカラー。1938年氷川丸で亡くなったそうな。
講道館図書資料部の本橋端奈子さんが治五郎のパスポートを紹介。本物なので帰国印が無し。
1984年ロサンゼルスオリンピック金メダリストの山下泰裕のコメント。今でも治五郎へのリスペクトが海外にある。
治五郎の墓は千葉県松戸市にある。
1964年 東京オリンピックでは柔道が競技に入る。治五郎の死後26年後。
山下泰裕さんは2019年6月にJOC会長に就任。


まだ治五郎の喪失感の実感はない。
多分、こっちが感じる以上に劇中の人物が右往左往するから。
泣ける、という感情の動きはあるけど、それだけじゃない。
浸っていられない。
だってオリンピックは止まらない。