『 競馬の季節 始まり~G1昇格大阪杯 』 | 猫と穴馬でHAPPY♡~競馬ブログ

猫と穴馬でHAPPY♡~競馬ブログ

わたくし阿佐田と同居人との2人の生活に、2017年突如競馬が参戦してきた(・∇・)
穴馬好きの癖に弱腰の阿佐田と、自分の納得いく馬券で一発を目指す同居人との競馬日記。

昨年から競馬生活になった阿佐田が、
昨年エッセイ風に書いておいた作品ですピンク音符
区切りである大阪杯を前に、
ここに記録します鉛筆
いつもの阿佐田じゃありませんから、
お気をつけて……何を?



∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


『競馬の季節 始まり~G1昇格大阪杯』



 少し前まで、
競馬が同居人と自分の生活に
こんなに深く入ってくるとは
思っていなかった。
同居人と言っても愛称で、
私が二十代の頃から二十年、
ずっと一緒にいる真の相棒、運命共同体。

 自分たちが出会った頃、
とある事業を始めたのだが
好調だったのは最初の数年だけで、
その後、
なかなか晴れない低迷期に入ってしまった。
それでもやめる気には全くなれず、
行けるところまで行こうという気持ちは
二人共同じだった。

とにかくその時出来ることをやろうと
まずは段階的に様々なものを手放し、
暮らしはどんどんシンプルになっていった。
唯一増えたものは、猫二匹。
離れていく人もいたが
助けてくれる人もまたいて、
ここまでなんとか渡って来られたが、
いよいよ家賃滞納が続いてしまう事態に。
さすがに大家さんも、
滞納分チャラにしてあげるから
来月出て欲しいと言ってきた。

家賃も払えないのに引越代作れるのかーー

先が全く見えなくて不安ではあったが、
でもきっと動き時なんだと腹をくくった。

「滞納分は必ず返しますからと
大家さんに伝えて下さい」

間に入っている仲介の人に言った。

「いいんだよ、八年ちゃんと払ってきたし、
大家さん小さいことにはケチなんだけど、
こうなるとうるさくないんだ」

 有り難かった。


こうして私達と猫二匹、
綱渡りのようにして移ったところは、
今までの半分の広さで築四十年。
そこから歩いて行ける場所に
ウインズ渋谷があった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 愛称同居人は若い頃、
競馬好きの職場の人達と一緒に
後楽園に通った時期もあったそうだが、
近年は、忘年会兼ねての有馬記念を
たまに楽しむ程度。
私の方と言えば競馬とは無縁で、
そう言えば子供の頃に一度だけ、
馬券を買いに行く父に連れられて
どこかに行った記憶があり、
ここのウインズだったのか、
と今になって改めて思う。
国家公務員だった父が、
毎週日曜日だけは瓶ビール呑みながら
競馬中継観てたなぁと、想い出す。


 さて、綱渡り生活を長く続けるには
息抜きがとても大切なのだが、
当時よく行っていたのは、
もっぱらカラオケ。
平日の昼間なら千円ほどで充分楽しめる。
そのうちカラオケ行ったと思って
五百円位ずつ賭けてみようかと
ウインズに行くようになった。
電車賃かけずに行けるのも良かったし、
カラオケ代は戻らないけど、
競馬は当然賭けた分取り戻せたり
倍増することもあって、
高揚感が味わえ楽しかった。
負けても入場料と思えたし、
ひたむきに走る馬を眺めているだけでも
なんだか癒された。
スマホで馬を調べているうち、
いつの間にかゲート出遅れ集の動画を
ずっと観てしまっていたり、
あっという間に二時間三時間過ぎたし
競馬をやっている時だけは無心になれ、
不安が心に入り込まなかったのも、
自分たちにとって有り難いことだった。

ウインズでは周りの皆と一緒になって
画面を食い入るように観て、
近くにいたおじさんと顔を見合わせて
互いの負けを分かち合って笑った。

「今の8か9か、ああ8だったかぁ……」

 そんなひとときも、
時に重くなりがちな日々を軽くしてくれた。



 さて状況は一向に上向かないどころか、
私は体に不調をきたしてしまった。
起き上がりに時間を要し、
一時は階段も降りられなくなったが、
なぜかさほど不安にならない。
きっとストレスからで、
浄化してるのかもしれない。
この際身体から悪いモノ出しちゃおう。
内心、病院代をかけたくないが三割、
怖いが自分の治癒力に賭けてみよう
が七割だった。
いつものように、
行けるところまで行ってみよう。
その選択が良かったのかはわからないが、
数ヵ月で状態の底が見え、
ひとまずほっとした。

「復調気配だね~」
「もう少しふっくら見せないと……」

 覚えたての競馬特有の言い回し。
この時期二人の間で流行っていて、
何を話していてもこうなった。



 うちはエレベーター無しの四階だったので
階段が下りられず家に籠りきりの私と、
家事全てをこなす忙がしい同居人でも
競馬を楽しむことはでき、
いつしか土日に競馬番組を観るのが
常になっていった。
無論的中させて
多少でも現金が増えたら助かるのだけど、
やはり息抜きの要素が大きく、
私が買う馬券はオッズ重視。
また、百円が一万円にも十万円にも
成りうるという事、
真面目に頑張れば獲れるわけではない、
という体験、
そういった全てが
自分の枠を広げてくれるようだった。

同居人は運試しと言っては
平場のレースの堅めの単複で、
よく五百円を数千円に増やしていた。



 そのうち私の調子は上向いてきて、
再びウインズに行けるまでの好気配。
ある冬の日、一番の寒さだったその日、
私達は小さく負けた。
近くのスーパーでいつものように
買い得なものを探して買った帰り、
エスカレーター降りながら同居人が
私の方振り向き様に言った。

「一度万馬券当てたいねーー!」

「でもさぁ、きっと、
『これがあの大変な時だったらね~』
って言うことになるんだろうね」

と、私。

「そうなんだよねーーー!!!」
 
 間髪入れず同居人が返してきたその声が、
響き渡るほど大きくて、
思わず二人で辺りを見回し、
誰もいなくて良かったねと笑った。

 そう、大変な時期が過ぎて
余裕がある時気軽にやったら当たっちゃう、
そんなもんだよ、現実ってそうだよね。

競馬のことを話していると、
帰り道もあっという間だった。

しかし、現実は思いのほか、
もう少し愛嬌があった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 寒さも一段落した頃、春のG1が開幕。
前半の目玉は、
今年からG1に昇格した大阪杯だ。
キタサンブラックにサトノクラウン、
マカヒキとメンバーが揃い、
当然私達も参戦。
予算はいつものように五、六百円ずつ。

さて前日、私はオッズを見ながら
三連単を中心に立て始めた。
その頃の私は、
人気薄でも三着には入りそうな馬を
一頭見出すやり方。
今回その馬をステファノスに決め、
ステファノス三着の三連単を
四つ立てたところで思考停止に。
最終決定は当日に持ち越した。

ところが翌朝起きると、
三頭合ってるのに着順違いで獲れなかったら
ヤだなという考えが浮かんでしまい
ブツブツ言っていたら、
全部三連複にすればいいと同居人が言う。
仰る通り、こんなことは無鉄砲なのだと
三連複を考え始めたら、
急に心が萎んできてしまった。
これではダメだ。
やっぱり三連単でいきたい。
仕切り直して格闘していると、
今度はこんな声が聞こえてきた。

『ステファノス全部三着付けでいいのか』

 なぜ競馬の日の午後は
こんなに早く時間が経つんだ!?

私はステファノスを二着にした
オッズを調べてみた。
むむ、三百近い。
立てた中での最高値ではないか。
両方買えば済むのだけれど、
両方買うわけにはいかないのだ。

私はふらふら立ち上がり、
洗い物をしていた同居人にも聞こえる声で、
自分に言った。

「夢を見ることにした……」

 自分で発したその言葉を聞いて、
まるで台詞みたいだな……と思った。


最終的に三連単はたった二つだけ。
あとは思いついた馬連と三連複を
なんとか立てた。
疲労困憊の私は、
ウインズに一緒に行くことを断念し、
メモした紙を同居人に託した。


 私が選んだ馬は、
キタサンブラックにサトノクラウン、
ステファノス、そしてヤマカツエース。
マカヒキも最後まで切れず、
三連複に一つ入れた。
手元のメモを見てはいたが、
立てた馬の順番も把握できていないうちに
ファンファーレが鳴った。
私はテレビの真正面まで
椅子を引きずってきて、
観戦の体制を整えた。

もうどうすることも出来ない。

画面にはゲート前で輪乗りしている馬達が
映し出されていた。
ぼんやり観ていたわたしだったが、
急に何かが襲ってきたようになって、
胸がいっぱいになり涙が滲んだ。

ちょうどアップになった
キタサンブラック始め全ての馬達が、
自分の涙を通して光り、
気高く、美しく見えた。

 そしてーー


 キタサンブラックは強かった。

ゴール前、
ステファノスもサトノクラウンも見え、
ヤマカツエースもかっ跳んで来たので、
最後までレースを堪能できた私。
しかし馬券はどうか。
ひと息おいてから恐る恐るメモを確認。


 なんとあの、夢の三連単を獲っていた。

 一着キタサンブラック、
二着ステファノス、
三着ヤマカツエース。


 嘘でしょ。

すぐに同居人に「たいへん」とライン。

私は馬連も獲っていた。

こんなに早くあの時話していた
万馬券が獲れるとは。

夢を見ることにして良かった。

ステファノス三着付けでいいのか?
という声も聞いて良かった。

きっと競馬の神様の声だったに違いない。




 実際遅れがちな公共料金を払い終え、
ささやかな乾杯をし少し息が入ると、
ここでの勝ちが、
一つの答えのように感じられた。

自分らしく勝負して良かったね、
ずっとそうしてきたじゃない、
このまま諦めずに行こうよーー

「さあこれから春のG1続くよ、頑張ろう」

 私がへこたれぬよう
ずっと元気づけてくれた同居人の声も、
晴れやかに聞こえた。


私達の綱は、
ついに切れるかの瀬戸際だった。
それが、馬達の、
命を懸けた走りによって繋がれたのだ。
レース前の馬達が神々しく見えたのは、
彼らは『そういう存在』だからなのだ。





 その後数日間、
思う存分大阪杯のことを反芻した。
同じ話を何度しても全く飽きない。
甘くはないから、自分達にとって
ここがこの春のピークだと思ったが、
その考えの方が甘かったようで、
ここからが本番だった。
競馬の神様も、
このあと度々私達のもとに現れた。
ウインズから歩いて来られたからかな。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



あれから三ヶ月が経ち、
春のG1は幕を閉じたが、
今まで、
こんなに充実していた春はあったかと
首を傾げたくなるほど、充実していた。


導かれるように全力で臨み、
競馬はこの時期、
まぎれもなく私達の支えだった。
息抜きのつもりで始め、
万馬券を夢見た私は、
今や十万馬券、
いや百万馬券を獲る日が来ることを、
すっかり信じている。
やめない限りその日は来る。
綱渡りも、渡りきる日が必ず来るのだ。
やめない限り。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 未来からこの季節にいる自分達を探すと、
綱渡りしながら馬にも跨がり、
次の季節へ向かって
今を駆け抜けようとしている二人が見える。
その先に何があるのかもわからずひたむきに、けれども愉しそうに走る自分達に向かって、
私は大声で叫ぶのだ。

「ステファノスは二着だからねーー!!」


 思い違いかもしれないが、
競馬の神様と思ったあの声は、
未来にいる、
自分自身の声だったのかもしれない。