旅立ち | 母のスキルス胃ガン記録

母のスキルス胃ガン記録

母の胃ガンが見つかってから、半年の闘病生活の記録です
やっぱり、スキルスは進行が早かった…
ここに書く記録は、すべて1年前の話です。
母→福岡在住、パート、一人暮らし
私→福岡在住、現役看護師、子供2人
姉→長崎在住、現在主婦(看護師)、子供3人

一年前…
30日の朝から喘鳴があり、タ方前に病院に行ってみると、尿量が減ってるという事でラシックスを投与されていた汗

一旦家に帰り、みんなお風呂に入り、泊まる準備、病院で食べるお弁当を作っていたところ‥18:30頃、家の電話が鳴った叫び
病院からだった『お母様の血圧が下がってます』
バタバタ準備して病院に行った車

19時過ぎに病院に着き、母のところに行くと、お昼の状態と変わっていて、鼻腔酸素2L→酸素マスク8Lになっていたダウン
呼吸も下顎呼吸になり、目は挙上し瞬き反射もなかったあせる

子供達は、状況が分かっておらず病室でお弁当を食べ…賑やかだった合格
母の耳には聞こえていただろう…

ラシックスを投与したが、尿量は増えてない…
20時頃、ゴロゴロがひどくなり(お昼に吸引した時ゴロゴロが消失した)ので、私が看護師さんに、もう一回吸引して下さいとお願いした汗
これが、母の死期を早めてしまう選択だった叫び
20:05過ぎ頃、看護師さんが吸引をしてくれた。
その直後、母は『ヒッヒッ…』と吸気(息を吸う)事が出来なくなり、看護師さんも『なんか苦しそうですね…マスクしときましょう』と…。
私達は、もうこれは最後なんだと悟り、
『後は、大丈夫ですので、何かあれば呼びます』と言って、看護師さんに退室してもらったガーン
お弁当を食べてる子供達を呼び寄せ、『もう、ばぁば最後だよ』とみんなで母を囲んだ合格
吸引してからほんの数分で、あっという間に旅立ってしまった。20:12だったオバケ

目は、開いたまま(最後、私達の姿見ようとしてたのかな?)
ロも、開いたまま(最後、何を言いたかったのかな?)あっという間だった。

目とロを閉じてあげ、しばらくみんなで泣いた汗汗汗

ナースステーションに行き 『呼吸止まりました』と報告に行った。

先生が来られて死亡確認。20:22。
数年前祖父が亡くなった時、死亡確認時間は、携帯だったビックリマーク
母の時は、スマホだった。
『お母さん、お疲れ様でした。今までありがとうドキドキ
癌発覚から半年だった。



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