毎日の報道に、涙が止まらず、うまく言葉に出来なくて、胸がつまる思い。

書いては保存。

その繰り返しの日々。


東日本大震災の被害に遭われましたみなさま、心よりお見舞い申し上げます。


【自分にできることは何なのか?】


日本中が・・・、世界中が・・・、みんな同じ想いでアクションを起こす人々に、

感動する私。

ハイパーレスキュー隊長の言葉に、ジーンと。


私、どうしたらいいのか分からず、何にもできなくて。

あったかい部屋でオムツを替えながら、授乳しながら、

ただただ・・・我が家に新しく仲間入りした子を抱き、感謝する毎日。



学生時代からの大好きなお友達、今は神奈川に住む Fちゃん。

← リンクしていますが、 ( OLD TO NEW )

工房で地震にあったようです。

真っ暗な夜道を自宅まで歩いて帰宅したのだと、翌日、無事が確認できて

遠く離れた松山でホッと安心しました。



高校時代の お友達、kyonちゃんも夜道を5時間かけて、ひとり歩いて帰宅したって。


9.11 のときは、New Yorkに在住していたkyonちゃん。

一瞬でビルが崩壊していくさまに、震えたことでしょう。


kyonちゃんと NewYorkのコンドミニアムで再会した数ヶ月後の出来事でした。

そして今回の 3.11



私、学生時代に留学していたクライストチャーチ。

報道を観て、唖然。

街のシンボルである 大聖堂。

ドミトリーからマウンテンバイクで何度、出向いたことでしょう。

夢と希望に満ちあふれた多くの方のご冥福を願わずにはいられません。



16年前に被災した神戸のある女性が、

「あのときに助けて頂いた 100倍のお返しがしたい!!」と、報道で言っていました。

あのときのノウハウが今回、たくさん生かされています。


支援物資の中に、防犯ブザーが必要だと!!

神戸で被災された方が入れていました。

悲しいかな・・・これが現実。

「要請があるまでは、個人のボランティアの方は・・・。」と、報道されているのも、

神戸の教訓。



今、多くの人々の思いと共に、支援物資がたくさん届くようになったようですね。

滞らず一人ひとりにゆき渡りますように。


でも、これから先がとても長い・・・ながい・・・復興への道のり。


建物だけでなく、そこにあった歴史をも、一瞬にして飲み込んでしまった 【TUNAMI】。


みんなの支援の想いが、時間の経過とともに薄れていくことのないように。。。


私にできることが必要とされるときに、さっと手を差しのばせるようにしておかなくちゃ。



はんなり♪と~ゆったりと~-110318_142312.jpg