SNS上で私が創価学会はカルトと発言すると熱心な学会員から必ず「創価学会はカルトじゃない」と言われます。
どこからどう見てもカルトでしかないのにどうして気が付かないのかと思うのだが、この記事で創価学会がカルトであることをわかりやすく説明したい。
カルトとは特定の対象を熱狂的に崇拝したり礼賛したりすることだそうだが、創価学会は特定の対象池田大作を永遠の師匠と仰ぎ、熱狂的に崇拝し礼拝しています。
またカルトの定義を調べると、「反社会的な危険で人権侵害を繰り返す集団」と出てきます。
この文から思い起こされる創価学会の活動での実例は、反社会的とは選挙活動を告示や公示前に会員にやらせるのが反社会的行動に当たります。また選挙活動での戸別訪問は法律で禁止されているのに会員に堂々とやらせています。
また人権侵害を繰り返すには様々思い浮かぶが、創価学会員の子供を乳児の時に入会させることがそれにあたります。子供にも宗教を信じない自由もあるのにその選択肢は子供には除外されています。
その他、公明党を支援しないというと創価学会から村八分にされるのもそうです。選挙の投票は誰に入れようと自由なのに創価学会員には実質それが認められていません。
カルトか見分けるための10個の基準というものを以下に挙げます。
1「精神の不安定化」
2「法外な金銭的要求」
3「生まれ育った環境からの誘導的断絶」
4「健康な肉体への危害」
5「子供の強制的な入信」
6「大小にかかわらず、社会に敵対する説教」
7「公共の秩序を乱す行い」
8「多くの訴訟問題」
9「通常の経済流通からの逸脱」
10「国家権力への浸透の企て」
ひとつひとつ例を挙げて自分の考えを述べてみたい。
①「精神の不安定化」
創価学会は勤行や題目を上げないと生命が軌道に乗らないと教えているため、悪いことが起きないように勤行や唱題をするという事があります。そして勤行や題目を怠った時は何か悪いことが起こるのではないかと不安にさいなまれるのです。あと創価信仰をしているとやけに涙もろくなったりする人がいてこれも精神の不安定化にあたります。
②「法外な金銭的要求」
創価学会では100万以上の財務をすると誉められたりしますし、幹部が「すっからかんの財務(有り金全部はたく寄付行為)をしましょう」などと法外な金銭的要求をします。親が財務にばかりお金を使って子供の教育費を出し渋る、という教育上のネグレクト現象がいたるところで起こっています。
③「生まれ育った環境からの誘導的断絶」
これは子供のお宮参りに神社に行けないことなどでしょうか?我が家の実例を挙げると、幼稚園の時に神社の鳥居をくぐることになるからと校外学習を親の意向で休まされました。
④「健康な肉体への被害」
私は創価親から教育と称した暴力を受けていました。これは私の家庭内のことであって、創価学会がというわけではありませんが。
⑤「子供の強制的な入信」
私が創価学会に入会したのは生後2か月弱の時でした。当然自分の意思ではありませんでした。
⑥「大小にかかわらず、社会に敵対する説教」
濁悪のこの世と言ったり、学会は絶対的な生命の安全地帯などというのがこれにあたります。学会以外は危険地帯であると会員を脅しているのです。また新人間革命では大阪事件を権力による迫害としていますが、ただの法律違反、選挙違反でした。
⑦「公共の秩序を乱す行い」
選挙活動を告示や公示前に行ったりするのがこれにあたります。
⑧「多くの訴訟問題」
聖教新聞を学会に批判的な人がネット上で引用すると、著作権侵害だと言ってスラップ訴訟をたくさんしています。
9「通常の経済流通からの逸脱」
創価墓苑ではかつて脱税していて、追徴課税をさせられています。
10「国家権力への浸透の企て」
公明党がこれにあたります。
私がかつて創価学会員であったとき創価学会はカルトであるかどうか調べていた時に、以上のカルトを見分ける10の基準というのを見た時に創価学会は全部当てはまるなと思いました((笑))
なので今創価学会にいる人も創価学会はカルトであることを以上の文から実感して、創価学会をやめる方向に舵を切ってほしいです。
カルトが人を幸せにできるはずがないのだから。