池田大作氏が2023年11月15日に亡くなったそうだ。この日は日目上人の命日でもあるそうだ。学会本部もいつ池田氏が亡くなったことにするかをいろいろと考えたのかな。

 

池田大作氏は生前、「臨終の相が大切」と言って亡くなるときの相に成仏したかどうかが現れる、と会員に説いていたが自分の臨終の相はどうだったのかを会員誰にも知らせずにいってしまわれたのだな。

 

池田大作氏の消息についてはいろんなことが言われていたが、この日がやっと来たかというのが正直な感想だ。逆によくここまで死亡報告を延ばしたなとも思うし、もっと延ばすかもと思っていたのでそうならなくてほっとした。

 

私が洗脳された熱心な学会員だったころは池田先生が亡くなったら自分は泣けて泣けて仕方ないだろうと思っていたが、洗脳が解けた今となっては池田大作氏の訃報に関してもそれを聞いても悲しいという感情も何も湧いてこなかった。

 

岸田総理が池田大作氏の訃報に追悼の言葉を述べて炎上していたが、炎上したのも当然である。創価学会はカルト宗教であるし、創価学会のせいで一家離散になったり経済破綻したり私のように精神疾患になったりして不幸になった国民が沢山いるのだ。

 

それなのに一国の総理がその宗教の名誉会長を持ち上げるような追悼の言葉を出すべきではない。

 

自民党は下野させるしかないように思う。

 

池田大作氏が亡くなってほっとした理由は学会員への「池田先生はお元気詐欺」が通用しなくなったことだ。

 

池田大作氏が公的な場に出なくなって10年以上にもなるが、その間創価学会本部はいつも「池田先生はお元気です」

といって創価学会の権威付けや正当化に利用してきたのだ。そして新聞啓蒙や公明党支援や財務(創価学会への寄付)に無償で会員を駆り立ててきた。

 

福運という名の仮想通貨を武器にして。

 

でもこれからはそれが通用しなくなる。

 

池田大作氏が亡くなった今、創価学会員は池田大作とはなんだったのか内外の情報に触れて再考してほしい。

 

本当に師匠とすべきような立派な人だったのか。

 

あれほど多くの名誉勲章をもらうことは本当に必要だったのだろうか、権威付けの為にお金で買ったものではなかったか。

 

女性問題はどうだったのか。

 

学会員に多額の財務をさせたことは正しかったのか。

 

創価学会員に精神疾患が多いのはなぜなのか。

 

創価学会員に未婚率が高いのはどうしてなのか。

 

創価学会員に家庭不和や一家離散が多くないか。

 

日蓮正宗に破門されたのはどうしてなのか。

 

無冠の友と名付けた人に聖教新聞を低賃金で配達させることは正しかったのか。

 

公明党支援を宗教上の戦いとしたことに間違いはなかったのか。

 

国税庁が池田大作の税務調査をしようとしたときに公明党が妨害したのは政教一致ではないのか。

 

池田大作は「私が全部やった」と創価学会が大きくなったことをバンバンと机を叩きながら全て自分の功績のように述べていたが、本当にそうなのか。会員も頑張ったから創価学会が大きくなったのではないのか。

 

「愚痴は福運を消す」と言ってたのは、創価学会に対する不満を表に出させないためではないのか。

 

考えれば考えるほど新たな疑問が湧き上がってくると思う。

 

このブログの文章が熱心な創価学会員さんのもとに届き、覚醒の手助けになることを祈ります。創価学会や池田大作から自分の人生を是非取り戻してください。