かつて私の仲良かった外部の友達が自殺をしてしまったことがあります。

 

創価学会員はそんな悲しいことがあった時も自分を責めてしまいます。それはなぜでしょう?

 

それはつまり池田大作に「幸福責任者」とか、「すべての縁する友を幸せに」とかことあるごとに言われているからで、その言葉が呪いのように脳内にこびりついてしまっているからです。

 

私がその友達の訃報を聞いたときに当時創価学会員として自分が思ったことは、どうして仲良い友達で私はすべての人を救うことのできる信仰をしているのにそのことを彼女に言ってあげられなかったんだろう?という事でした。そして泣きながら長時間気の済むまでお題目をあげました。

 

青春対話には自殺は生命を傷けることになるから、罪を作ってしまう。それとお題目は亡くなった人にも闇を照らす光となって届く、ような事も書いてあります。(趣意)


自殺をする人はそれを自分で選んだのです。だから罪を作ってしまう、なんて無慈悲な事を言うのはやめてください。池田先生は金正恩よりも無慈悲ですよね?


科学が仏法の偉大さを証明する時代が来る、なんて戸田会長も言ってましたが、創立90年経っても聞こえてくるのは個人の感想である体験発表だけですね。


それも創価職員幹部が大幅に手直ししたもの。


仏法ってなんなんですかね。


お題目の効果を論じた心理学の論文はありますか?



創立90年経っても創価学会は師匠も弟子も仏法の偉大さを証明できなかった事を認めましょう。


100週年までには創価学会を潰すように多くの宗教2世がツイッター上でスクラムを組んで励まし合いながら戦っていますよ。あれ、なんかゴルバチョフのペレストロイカみたいだけど…


悪は多けれども一善に勝つ事はなし💥日蓮