青春対話にお隣中国とどう付き合うかとの章があります。

 

前回は上について書きましたが、今日は下です。それについて取り上げ感想を述べたいと思います。

  

以下はおおよその青春対話の内容のまとめになります。

 

日本と中国の国交が正常化したのは1972年。当時は共産主義と自由主義陣営との熾烈な争いがあり、日本は当時のアメリカの中国敵視政策に追従していた。

 

そんな中池田先生は1968年に日中の国交正常化の必要性を訴えた。あらゆる次元から考えて中国と友好を結ぶことが一切の平和のため、すべての人類への貢献のために必要だと考えたから。

 

その当時は中国との友好を主張することは命の危険さえあった。

 

中国の文化の大恩にご恩返しをしなければならないとも考えていた。何よりも中国を侵略し、暴力を振るい、苦しめぬいた罪、この罪を消さなければ日本民族の正しき未来はないということも考えていた。

 

その後公明党が中国に訪中などをし、日中国交正常化が実現した。

 

念願の周恩来総理との会見が実現したのは1974年12月。周総理はがん闘病中で命の危険もある中、医師の反対を押し切って池田先生と周恩来の会見が実現した。

 

周恩来は偉大な指導者、いつも中国人民の幸福を考えていた。

周恩来は日本に留学経験もある。周総理は日本の人民も間違った軍国主義の犠牲者なので、日本への戦争賠償の請求権を放棄することを決断された。この周総理の大恩を日本は永久に忘れてはならない。

 

かつて池田先生は中国の首脳に「中国は大発展するでしょう。日本をやがて追い越していくでしょう」と述べたが、いまだんだんそのとうりになってきている。

 

日中の青年が手を取り合って人民に尽くしゆくことが大切。

 

以上のような内容です。2021年からこの当時のことを考えると、池田先生は周恩来総理や中国人のことをよく知らなかったのではないかと思われます。という私もコロナを経験してから中国人のモラルのなさを知り、周総理総理についても認識を修正したのですが。

 

このように池田氏をはじめ学会は周恩来総理を基本的に持ち上げていますので、学会員はいまだに周恩来を偉大な指導者として認識し尊敬しています。

 

一例をあげれば創価大学には周桜というものがあり、周恩来総理を称えて桜の季節には観桜会ももよおされています。

 

しかしながら彼は毛沢東の右腕としてたくさんの中国人民を殺してきて、周恩来は生前自分は必ず地獄にいくと明言していたそうです。「私以上に残虐非道の限りを尽くした人間はいないだろう。地獄は私を待っている」と言っていたそうです。

 

また周総理が日本に戦争の賠償を請求しなかったのは、未来永劫にわたって日本からお金を引き出すためだという推測もあるようです。

 

また中国は日本を追い越していくでしょうとの池田氏の言葉、当時も違和感を覚えましたが今は間違いであったと認識しています。

 

つまり現状中国が経済発展をしたことによって世界中が迷惑をこうむっています。


日本は尖閣諸島も狙われ、台湾も日々脅しを受け、香港でも言論統制や弾圧がおこなわれています。

 

モンゴルやチベット、ウイグル(東トルキスタン)が自治区にされ殺された人もたくさんいます。意思に反した臓器売買もされインドやブータンなどとの国境紛争もたくさん起こっています。

 

中国を発展させてきた日本は、この後中国の日本自治区にされようとしています。現在日本中の土地が中国人に買われ、中国人が大量に日本に入ってきています。中華街もたくさん作ろうとしています。

 

公明党は中国共産党にとりこまれてしまったのか、売国路線を突っ走っています。土地規制法案は骨抜きに対中非難決議も公明党の反対で否決されました。



その前に世界市民である池田先生がすでに中国共産党に取り込まれていたのではないしょうか?

 

今ならまだ日本は間に合うのでしょうか?


日本が国として独立を保つためにも、日本に日本のマナーも守れないような外国人をこれ以上増やすべきではありません。

 

文中日本民族などと池田氏は言っていますが、日本国民なのでそこは訂正してほしいです。

 

池田先生は中国からのおだてに乗せられていいように使われちゃったのかな、というように今は感じています。