p15~現象学が基礎的な部分としてエンチクロぺディー体系に属していないことは、この体系に何かかけているのではない。現象学がそれにぞくしていないかとがむしろ、―現象学を通して体系がひとたび始まった後においては―体系の始まりを、すなわち論理学をもってする始まりを明示している。唯一〈体系の内容に〉ふさわしく始まりを明示している。なぜなら絶対的な知の体系は、自己自身〈の何であるか〉について正しく理解している時には、その始まりにおいても絶対的な仕方で始まらなければならないからである

「エンチクロぺデー」・・・ヘーゲルがハイデルベルク大学教授時代に、講義に使うために刊行したものである。論理学(小論理学)、自然哲学、精神哲学の3部からなり、あらゆる哲学・知を体系化しようとする壮大な著作である。ドイツ語で百科事典を意味する言葉。(ウィキぺディヤ)

人間は他の動物と違い、なぜ本能のまま生きることが出来ないのでしょうか?なぜ、考え、苦しみ、悩み、悲しみながらでも、本能による行為を止めようとする作用が起こるのでしょうか。たぶん、本能に任せ生きることを止めようとする意思が、即ち人間性の表れだと哲学者は気づいてはいたのでしょうが。それならば、古代から多くの哲学者や神学者が考えてきた真理(?)は、まったく現代にいたるまで、役に立ってはいないように私は思っています。なぜなら、歴史の中の人間の生き方を見れば、人を人とも思わない、権力者の前では正義も通用せず、欲望を満たそうとする行為は、弱肉強食世界を必死に生き抜こうとする生物より、悪意に満ちているものもいる。結局、自分が何ものであるのか分からず、生かされている意味も、生きなければならない意味も、生きた後、何がそこに待っているのかも分からず、社会のことも世界のことにも興味がなくても、何とか生きていられるので、何ら支障がないと思っている?。また多くの人は人生一度きりだからと、欲望にそそのかされるまま、自由に思い通りに生きることを望んでいる。それが間違えのもとであることも知らないで。

結局、哲学者や神学者がどんなにを学んでいても、現実の生活の中で生かす術を教えなければ、どんなに学んでいようが社会の役には立ちません。

  こう言っている私を、哲学者が神学者が聞いたり見たりしても、きっと拒否するでしょうが。

しかし、私に起きていることが、究極の真理であると、私は皆さんに自信をもって言えます。

もし疑うのでしたら、一つ議論でも引き受けますよ。

まったく、いったい、いつになったら、分かるのだろうか・・・!?。

この世界が滅びるときまで    きっと   分からないのだろうな・・・きっと!!