p7~思弁的神学は宗教哲学と同じではない。また教義学という意味での神学でもない。それは最モ実在的ナ有ルモノ〈ensrealissimum〉、すなわち最高の現実性そのものの有論〈オントロギー〉である。それはヘーゲルにとって、有るもの一般有に関する問とおおいあう―なぜ〈おおいあう〉か、この点についてはわたしたちは解釈でみるであろう。

思弁的・・・経験によらず、思考や論理にのみ基づいているさま。(Weblio辞書より)

宗教哲学・・・宗教の存在意義や本質を究明する哲学(ウィキぺディヤからの抜粋)

教義学・・・聖書で教えられている神についての諸真理を組織的、体系的に論述しようとする学問である。(ウィキぺディアから抜粋)

有論オントロギー・・・存在論(デジタル大辞泉から)

要するにここでは、実際の存在(この場合は「神」の存在のことだと思うので、存在を「神」として話を進めます)では、思弁的神学はその神を知っているものが、より神を知りたく思い学んでいる訳ではなく、聖書を書いたものも神の実態に触れた訳でもないことになり、いったい何をもって真理としているのか。自分自身が考えている神が、現実に存在する「神」ではないのならば、あなたたちが何をもって神として救いを求めるのか、という疑問が生じてくる。で神は神の実在を知らないものによって捏造されている?その、存在も知らないあなたは何故、神を信ずることが出来るのでしょうか。私は現実に存在(私は「神」はあなたたちが私を「神」と呼んでる)から、まいにち毎日プレッシャーを受けている、神は私に我々の生き方を見て悲しんでいるのですよ・・・あなたたちには信じられないでしょうが、神はけっして過去のものではなく、今も私に「これ以上悲惨な世界にしないようにと」言われるのです。

因みに、心貧しい人は死んでも心貧しいままでですよ、それがどうゆう意味か分かりますか。あなたに・・・!