p154~アインシュタインの機嫌がいいのを見て、私が彼と牧師の、どちらの肩をもつものでもないことを知らせたくなった。
「教会が迫害の中心であったことは否定できません。中世には教会は、黄色い星やゲットーを導入してユダヤ人たちを都市に押し込め、そこで彼らは金貸しで生計を立てていくしかなかったのです」「それはローマ法王がやったことですよ」と、ジェームス師が反論した。「私はプロテスタントですから、私たちは人間の仕事ではなく神の仕事をなさねばならない、ということしか念頭にありません」。それから、アインシュタインの方を向いて「精霊が神の仕事をどうなすべきか教えてくれるのです」と言った。
アインシュタインは手を握りしめ、身を乗り出した。「良心が何をなすべきか告げてくれるという意味だとしたら、そのとおりだと思うよ」。そして、やや間をおいて言った。「しかし、良心は操られうるも確かだ。( ハイル・ヒットラー)と唱えたドイツ人の多くは、教会に熱心に通う人々でもあった。知性が世を救ったためしがないという点では、君と同意見だ。世の中を良くしようと思うなら、科学的知識ではなく、理想をかかげて行動する必要がある。孔子、ブッダ、イエス、そしてガンジーは、人類のために科学がなした以上の貢献をした、われわれは人間の心、すなわち人間の良心から出発すべきだ。そして良心の価値は、人類に対する無私の奉仕によってのみ表に現れる。この点については、教会にかなりの罪があると思う。教会は、つねに支配者や政治権力を持つ側につき、総じて、しばしば平和と人類を犠牲にしてきたんだ」