第一部
第一章 古典哲学と西欧市民階級 p29~
p30~いかなる真の哲学的思惟も、人間の現存在の中には何か或る永遠的なものや不変的なものが存在し、それを探求することがまさしく哲学本来の課題をなしているという前提から出発する。そこから暗黙裡に、客観的真理の存在が帰結してくる。
ところが、知識社会学は、それがあらゆる認識をその時々の歴史的・社会的諸条件に関連づける限り、まさしくこうした客観的真理の存在を否定して、古代的相対主義の現代的・科学的な形態に帰着するように見える。ところでこような二つの立場は矛盾しないだろうか。一体ひとは哲学に携わろうとしながら、しかも同時に知識社会学の権能を承認することができるのであろうか。ルカーチがやったような試みは自己自身を廃棄するのではないだろうか。
この人間の現存在の中には何か或る永遠的なものや不変的なものが存在し・・・ここが一番重要だと私は思っています。現実に我々人間の中には永遠的で不変的なものが意識として存在するのです。その意識こそが心であり霊や魂というのです、そしてその意識の親(あえて言うと)が「神」でもあると私は思っています。現実には心の中の意識はそのものの過去(輪廻)でもあり課題でもあるのです。その親でもある神は、我々に良心に従うようにと心配し、そして我々の生き方を見て悲しんでいるのです。