あー・・・・・ああー・・・・・うっうっ・・・・・

(号泣している・・・・・)

・・・・・・

嬉しい・・・・・僕のホントの気持ちがわかる人がいてくれて・・・嬉しい・・・・私の、暗くて重たい心の中を解かってくれる人がいて、嬉しい・・・・・こんな思いは、初めてです・・・・嬉しい・・・嬉しい・・・・あなたと縁ができてよかった・・・・・あー・・・・・・うっうっ・・・・・私の心はいつも、不安と悲しみに包まれていた・・・・あー・・・・・・ややもすれば、私の詩を見て・・・童話を見て・・・楽しい思いや不思議な思いをしている人が大勢いるが、ほんとにわたしの気持ちを解かって読んでいる人はいない・・・・あー・・・・・人というのは、怖いもの・・・悲しいもの・・かわいいもの・・・苦しいもの・・・・いろいろな心をもっている・・・・みんな優しい気持ちでいてくれたらいいのだけれども・・・・争うのは嫌いです・・・・・みんなで仲良くしていって欲しいです・・・・・あー・・・・・・あー・・・・・・こうやって会えて・・・・あなたがいて、私の苦しみも少しは○※△□・・・・ありがとう・・・・うっうっ・・・・・私の思いをあなたに託したい・・・・・子供達の喜びに満ちて、遊んでいる姿を見たい・・・・今の世の中は間違っています・・・・是非、私の心を伝えて下さい・・・・多くの人たちに伝えて下さい・・・・・喜びに満ちた子供の姿を見たい・・・・・収穫の喜びに満ちている農民の姿を見たい・・・・大漁に沸き立っている漁師の姿が見たい・・・・・ああー・・・・・・・ありがとう・・・・・・T「あなたのお名前を教えてください」・・・・・宮沢賢治・・・・・これからも来ていいですか・・・・T「もちろんです」・・・・嬉しい・・・・ありがとう・・・・・

ああー・・・・・・うっうっ・・・・・・

K「今日、知人から、宮沢賢治の詩「雨にも負けず」をメールでもらった・・・・それについて、僕は、こんな事を返信したんだ・・・・」

(以下メール文)

宮沢賢治はね、けして自分だけの幸せを考えてはいなかったし、その心が無ければこの詩は書けなかったでしょう、その詩をどうゆう心境の時に書いたのでしょうか、仏教徒としての自分と、幼く死んで行った妹、貧しい暮らしをしている農民と学問した自分、身体を患っている自分とギリギリのどうにもならない状態の中で苦しみぬいた末の思いを綴ったものだと思います。私には意志半ばでそれ以上前に進めない状況がひしひしと伝わって来るのです,僕が思うには賢治はお百姓さんと収穫の喜びや、凶作の悲しみを共有していたのだと思います。私も多くの人達と悲しみよりも、喜びを共有したいと思っています、が黙って見ているだけでは、その思いは達成出来ないのです。本当に僕は大それた考えは持っていません、朝ニースを見て悲しいニースが出ていないような、世の中に成ってもらいたいだけです・・・・・・・・