一回生の岩田です。
さる9月23日は、男子は関西学生選抜練習会、女子は同志社での稽古だったのですが、
梶川、田中、岩田の負傷者3人組は萱谷さんに特別講義をしていただきました。
3時間にわたりハーフガードと足抜きを中心とした講習や試合内容の分析、今後の練習へのアドバイスなどをしてくださり、
練習後はサイゼリヤで豪遊させていただきました!
萱谷さん、本当にありがとうございました!
一回生の岩田です。
さる9月23日は、男子は関西学生選抜練習会、女子は同志社での稽古だったのですが、
梶川、田中、岩田の負傷者3人組は萱谷さんに特別講義をしていただきました。
3時間にわたりハーフガードと足抜きを中心とした講習や試合内容の分析、今後の練習へのアドバイスなどをしてくださり、
練習後はサイゼリヤで豪遊させていただきました!
萱谷さん、本当にありがとうございました!
どうも2回生の者です。
春雁似吾吾似雁
洛陽城裏背花帰
春雁吾に似て吾雁に似たり
洛陽城裏花に背きて帰る
(常山紀談)
この詩は、直江兼続によって詠まれ、都の花々が咲き誇る華やかな洛陽(京都)を背に、春を待たずに北へ飛び立つ雁に自分を重ねたものです。加えて、会津へ帰り、家康率いる10万の大軍を前に対し昂然と孤軍で立ち向かう為の決意を詠んだものです。(時期は諸説あり)孤独で凛とした心境を春の雁に重ねて表現しています。兼続は政治や風流にも優れるだけでなく、「三拾人長柄組」の一人にも数えられるほど武勇にも長け、上杉家にその人ありと言われました。この威風凛然とした生き方は自分にとっては痺れます。男として生まれたからにはかくありたいものだと思います。人はなんと思うかは分かりませんが、自分的にこの生き方はたまらなくロマンが溢れていると確信しております。
柔道部に入部してからの生活を振り返ると週6の練習に加えて夏休みの長期休暇は4日、お盆休みは無し、校内合宿は年に7週間など、京大の中では厳しめに取り組んでおり、(昔はもっと厳しかったのでしょう)初めはサークルやエンジョイ系の部活に入っている友達を羨んでいました。適度に運動をして勉強もそつなくこなし、バイトをして、彼女を作って、、それに引き換え自分は練習漬けで勉強と筋トレと最低限のバイトで手一杯。なぜ自分はと思っていました。昔は。
今、思う事は他人はあくまで他人であり、自分は自分だという事です。例えば、あまり必死に練習せずにやたら演武ばかりしたがる合気道は「いくさ人」というよりむしろ「芸者」の類いと思わずにいられず、強くなりたいと思う自分からは寸分も羨ましくありません。
今までの日々を思い出すと、世俗の快楽から離れ厳しい環境に身をおくのはある意味では澄んだ冷涼な空気を求め、世俗の地から離れ空高く飛ぶ雁に似ているかもしれません。魅力溢れる京の都で周りの華やかな文化に目を背け練習し、自分は自分の目標である文武分岐を「かえり」み日々を励もうと思います。
岡大合宿も終わり家で岡大でもらったビールを飲んで酔っ払ってしまい、ナカムーに絡みたいところですが、ムーがいないのでブログを書きます。
僕が水泳を始めたのは年長さんの時でした。
コスパというスイミングスクールに通っていました。僕の泳ぎ方は単純明快、死ぬ気で水を掻いて息の続く限り根性で泳ぐというものでした。コーチの言うこともほとんど聞いていませんでした。そのため、ある程度からは頭打ちでしたね。コスパでは「コンドル」というレベルに達すると黒い帽子が与えられてそれがステータスっぽかったです。
ブロンズシルバーゴールド、プラチナとあって、タイム別で分けられて確かゴールドまで行きました。
小学校の時は早熟も相まって小4までマラソン大会を4連覇、小4までは長距離、短距離、水泳全て学年一位でした。でもそんなにモテませんでした。水泳は小学校の間ずっと一番早かったでしたが、水泳訓練では僕より少し遅い先生の言う事をよく聞くいい子ちゃんに「一班一番」(泳ぎの早い順に班が決まり、その中で早い順に番が決まる)つまり、最高の栄誉が与えられました。僕は何を思ったか自分の速さを誇示するためにだいぶ後からスタートしてその子に追いついて、足と手が触れ合う距離でキープしていました。すると協調性がないとみなされたのかどんどん班と番号は下降していき最終的には2半5番とかでした。めちゃくちゃムカついたのを覚えています。今考えれば僕が悪いですが。コスパのコーチの話を聞いた感じ、水泳のガチの競技者としてはお話しにならないタイムだったのと個人的に楽しくなかったのでやめました。
誤字は許してください。
追記 清水の巨大化が止まりません。